前回読み終えた「物語イタリアの歴史」は読み終えるのに、半月ほどかかったのですが、「物語イタリアの歴史Ⅱ」は5日ほどで読み終えました。
前著と比べて「Ⅱ」の方がかなり薄いんですよね。
おっさん側の要因としては、前著が面白かったので気持ちが乗って読めたというはあります。
おっさんは世界史で大学を受験した組なので、五賢帝の名前はいまだに言えるのですが、やっぱり一番知られているのは、哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスですかね?
マルクス・アウレリウス・アントニヌスの「自省録」は、「離島に一冊だけ本を持っていくことを許されるならこれ」という言葉を読んで、おっさんも購入したのですが未読です。
ちなみに五賢帝については、講談社現代新書に入っていた「ローマ五賢帝」という本を読んだのですが、内容はおっさんのことですからすっかり忘れています。
第五話は「教皇ボニファティウス八世の物語」。
このボニファティウス八世、ローマ教皇でありながら
P.111
聖母の処女懐胎とか、ミサの儀式によってパンと葡萄酒がキリストの肉と血に変わるなどというのは愚かな民衆をだますための方便で、いやしくも知性のある者ならば、そんなことを信じるふりをしておいて、自分の頭で考えなければならぬ
と言ってのけたらしいとされており、驚きです。
この教皇の政策の誤りから教皇の権威は「カノッサの屈辱」の高みから、「教皇のバビロン捕囚」と言われる劇的な低下が起こるのですから、歴史は不思議なものですね。
「物語イタリアの歴史」「物語イタリアの歴史Ⅱ」を通してイタリアを見ることで、世界史だと各歴史的な事件の背景として描かれることの多かったローマ教皇について、多く触れることができたのも良かった点だと思います。
第八話は「画家カラヴァッジョの物語」。
おっさんはポール・ゴーギャンをモデルにしたサマセット・モームの「月と六ペンス」は何度も読み返すほど好きなのですが、カラヴァッジョの物語にも心惹かれるものを感じました。
なんというか「芸術以外はてんでダメ」みたいなおっさんの思い描く芸術家像に近いからだと思います。
おっさんは以前の職場の芸大出身の女の子に「芸大って、『打つ飲む買う』が横行していて、男女の付き合いもただれたセックスが普通なんでしょ?」なんて訊いて、大ひんしゅくを買ったことがあります。
というか、おっさんは芸術家にそうあってほしいと思っているんでしょうね(ひどい)。
著者が逝去されたためにあとがきがなく、武谷なおみ氏による「あとがきにかえて」という文章があるのですが、その中で引かれている
P.189
ファシズム=保守反動と結ぶ安易な図式に藤沢さんは反省を促し、ファシズムという現象を次のように分析している。「政治にめざめた一部の大衆が急激な変化を求めて、既成のイデオロギーである自由主義と民主主義、既成の反体制イデオロギーである社会主義と共産主義の両方を否定する方向に進むところにその特徴がある」。
という言葉は、単純でありながら実に奥深いものがあるなと感じました。機会があれば著者である藤沢道郎氏の書いた「ファシズムの誕生」を読んでみたいなと強く思いました。
あと、いままでに読んだ本の中で幾度か名前が出てきた須賀敦子氏。
この本でも「あとがきにかえて」の中で名前が出てきたので気になってしょうがなく、こちらもなにか読んでみようと思っています。
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