一生懸命読んだので、「物語イタリアの歴史」の帯が色あせてしまっていました。
そういえば、中学生の頃にそのころ流行りだったゲームブック(確か下の「ソーサリー」シリーズ)を同級生に借りたのですが、手汗で本のカバーがボロボロになって返したのを思い出します。
いま思うと「悪いことをしたな」と思うのですが、いまだにその同級生とは友人で、コロナ前は半年に一回ぐらいお酒を一緒に飲んでいたので、きっとしかたないなと受け入れてくれていたのでしょう。
それはさておき。
帯が色あせるぐらい一生懸命読んだのは、この「物語イタリアの歴史」がとてもおもしろかったからです。
おっさんは十話からなる物語のうち、第二話「女伯マティルデの物語」が一番面白く(「カノッサの屈辱」がカノッサで起こった背景、必然性のようなものを描いています)、それに第八話から第十話の三つが続く感じでした。
それで各話の内容を簡単に触れようかなと思っていたのですが、あとがきがとても素晴らしかったのでそこを引用させてもらおうかなと思います。
P.329
イタリアに統一国家が存在しなかったその十五世紀間を歴史=物語として記述しようとすることによって、国家的統一性に安易かつ無自覚に依存する習慣を排除することができる。それは、各国史という今はもはや恣意的・便宜的でしかない枠組から脱却するための、一つの準備運動になるであろう。
続きの文では、「その千五百年間のイタリア人の豊かで実り多い営みが、イタリアという国家の歴史の単なる前史」ではないという記述もあり、著者がそういう大きな視座で物語を提供してくれていると、やはり記述する物語に深みがあるように感じます。
おっさんなんか受験は世界史だったので、統一イタリア王国の初代国王はヴィットリオ・エマヌエーレ2世だと知っている(覚えている)のですが、それが背景として描かれる第十話「作曲家ヴェルディの物語」でも、なかなかヴィットリオ・エマヌエーレ2世が登場してこず、共和独立派のマッツィーニの活動(失敗?)が目立っていたので、イタリア統一に向けて、そんな事情があったのかと勉強になりました。
そんなわけで大満足の「物語イタリアの歴史」でした。
実は「二〇世紀の歴史」も読み終えているので、読書記録を書かなくちゃですね。
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