「ゴーヤ、ゴーヤ、ゴーヤ苦いかしょっぱいか」。
もうゴーヤの鉢を抱いて寝ようかと思うおっさんです。弱っているものに対して判官贔屓的な愛着を感じてしまうところが、いかにも日本人的ですね。
今度は間違えてワンクリック購入してしまったKindle本。
物が少なくて、漂白されたように白い空間。
この家庭で育った子どもは、大人になったときにこの空間を「懐かしい我が家」として思い出すのかな?おっさんには、とても愛着を持って暮らせる空間として思い出すことができなさそうな空間です。
「無駄なものがない」のは理想としてはありうべきかもしれないけれど、現実に無駄のない空間、無駄のない人生というものは実に虚しいものであるように感じてしまいます。たぶん、人間は本能的に無駄なものに愛着を感じる部分があるのではないかなと、勝手に思ってしまいます。
だから、おっさんが間違ってこの本を購入してしまったこともきっと無駄ではなく、人生のプロセスとして必要なことだった・・・・・はずはないわな。
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