連休二日目、暑くてなにもやる気になれないですが(クーラーのないおっさん家ではなおさらです)、精神保健福祉士の国家試験に向けて過去問をやりはじめました。
ああ、三冊とも良いぶ厚さですね。
勉強するのは嫌ですが、おっさんの場合すでに資本を投下しているので、資格手当をもらってそれを回収せねばなりません。
一応、過去問3周を目標にやっていこうと思いますがやれるものやらどうやら。
また見たものがたまってきたので、書くなら書かなくては。
先日、高校野球の予選を見に行ったのは、職場の先輩さんの言葉が大きいのですが、これを直前に見た影響もなくはないと思います。
おっさん、アニメ版は少しは見た記憶があるのですが、でもおそらくはテレビで放映された劇場版しかちゃんと見ていないので、今回Amazonプライムビデオでアニメ版をチェックしてみました。
子どもの頃、運動音痴で根性系のアニメが好きではなかったおっさんですが、劇場版の「キャプテン」は感動しながら見た記憶があります。
まあ、アニメ版でも選手の練習すること、練習すること。
子どもの頃から努力が嫌いだったおっさんがどうしてすんなりと見て感動したのか、よくわからないですね。
いま見直してみて思うのは、どうして中学の野球部なのかなということ。
メジャーな高校野球ではなく、中学の野球を題材にしたのにはそれ相応の理由があると思うんですが、なんなんでしょうかね。
中学時代に、これぐらい何かに熱中して打ちこんでいたら、おっさんも一角の人物になっていたのでしょうか?
連休初日のおっさん。
自転車に押されて、すっかり影の薄くなっているSoloに乗って、紀三井寺に行こうと思いたちました。
本日のSolo君。もっと磨いてやらんとな。
和歌山に暮らして約三年。
なのに、まだまだ足を運んでいないところが多いのです。
まずは腹ごしらえ。
お昼に食べた丸三の特製(チャーシューメンのこと)。引っ越してきて初の #和歌山らーめん だな。
引っ越してきてから初の和歌山ラーメンです。
昔、昔、友だちに連れられて出手には来たことあるんですけどね。
まあ、おっさんはラーメン自体をそんなに食べる人ではないので、道頓堀の金龍ラーメンにも神座(かむくら)にも行ったことがないんですけどね。
金龍は本店以外では食べたことあるんですが、麺がのびていて美味しくなかった思い出しかないです。
閑話休題。
実は、自宅からそう遠くないところにある「暴豚製麺所」という名前のインパクトがすごい店に行ってみたのですが、夜間のみ営業だったので、紀三井寺に行く途中のこの丸三に立ち寄りました。
見かけよりあっさりしていて、麺が柔らかすぎず、かつ、汁ととても絡んでいて美味しかったです。しっかし、なんで食べログとかぐるなびのリンクが貼れないんでしょうかね、はてなブログでは。貼れないならレストラン紹介とかって作成タブを外せばいいのに。
それはさておき、紀三井寺です。
青い空に朱の楼門、美しいですね。
階段がすごいので、お歳を召されると参拝に難儀しそうです (というか、おっさんもフウフウ言いながら登りました)。
紀三井寺の名前のもとになった、3つの湧き水のうちの1つ。正直、清水寺の音羽の滝よりもだいぶん劣る水量でした。
新仏殿の横からの眺望は素晴らしいものがありました。
本堂
本日は200円で中に入ることができました。
なかには腰掛けもあって、扇風機も回してくれているので、おっさんはドリンクホルダーに入れていった紅茶を飲みつつ、くつろいでしまいました。
夏場の木造建築のお寺のお堂は、冷房なしでもかなり涼しいので大好きです。その分、冬場は厳しいですが、冬場は暖房の効いている美術館や博物館に行くと良いのです(夏場の冷房の効いている美術館や博物館に行けばよいという意見は却下です)。
徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山院(安和元年〈968年〉 - 寛弘5年〈1008年〉)が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けた。そして中山寺で宝印を探し出し、播磨国書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として三十三所霊場を巡礼したことから、やがて人々に広まっていったという(中山寺の弁光上人を伴ったとする縁起もある)。仏眼が笈摺・納め札などの巡礼方式を定め、花山院が各寺院の御詠歌を作ったといい、現在の三十三所巡礼がここに定められたというのである。
お堂内には、上にあるように西国三十三所巡りに縁のある、花山法皇の絵が飾ってあり、「はて、花山天皇に一緒に出家をしようと行ったのは誰だったかな、道隆?道兼?兼家?」と考えて思い出せず、帰宅して「平安王朝」で調べたら道兼でした。
いろいろとおかしいのでは?と指摘されたりしている「平安王朝」ですが、摂関ではなく天皇を中心に叙述されていて、おっさんは面白く読んだので、けっこう好きですね。
鐘楼
楼門
多宝塔は修繕中なのか見ることができなかったのは残念でした。
スマホで全景を撮ろうとすると、建物が樽型に歪んでけっこう面白かったです。
また、別の和歌山の名所にもSoloで出かけたいですね。
本日は夜勤明けのおっさん。
今回の夜勤は、眠りに落ちようとするたびに何かが起こり、非常に辛い夜勤でした。というか、下半身むき出しのおばあちゃん(おばちゃん?)を、こんなに何回も見たのは初めてでした。
こんな日は帰宅後の昼間に寝てしまうと、起きてからきっと体がすごくだるいので、ひやむぎを食べたあと、ゆっくりと水出し紅茶を飲んでから和歌山中心街にポタリングに出かけることにしました。
和歌山中心街という表現を使いましたが、和歌山は中心となる繁華街がなく、のっぺりとした街がダラダラと続く感じです。県庁所在地として、この都市計画は明らかに失敗しているとしか言い様がないと思います。
ダラダラした街をダラダラとポタリングしたあとで、昔の和歌山の中心地ぶらくり丁までやってくると、そこに保護猫カフェなるものを見つけました。
おっさんが以前一緒に暮らしていたちよさんも、いま一緒に暮らしているまなさんも、拾った猫なので一匹でも多く、里親さんの所に行けると良いなあと思いました。
まなさんは、拾った公園の前のマンションのゴミ捨て場の魚をボリボリ食べていて、そこのマンションのカップルが「かわいい」とか言ってたので、もしその人達が拾っていたら、おっさんとは暮らしていなかったでしょうに、不思議なご縁でおっさんと一緒に暮らしています。
拾った時は毛艶も悪かったのに、いまはツルツルのきれいな毛艶のまなさん。ゴミ捨て場の魚を食べていたこととか覚えているんだろうか。
それはさておき、ペットショップのアビシニアンとかもいいですが、拾ったもしくは里親になった雑種(ミックス)の猫さんが、同居人を幸せにしてくれることは間違いないです。
殺処分になったり、道で車にひかれたりする子猫が一匹でも減るといいなあ。
そんなことを思いながら、まなさんの待つ部屋に帰ってきたおっさんでした。
本日のポタリングは16.38km、1時間14分の走行でした。
P203
(略)鎌倉期の高一族は、足利氏の御内人であった(厳密には、「御内」)。高師直の大活躍は、そうした鎌倉期の体制の延長線上に位置した側面も存在するのである。
だが、このことは反面、高一族が前代の古い体質を維持していたことも暗示する。
高師直の婆娑羅ぶり、革新性が強調されることがあっても、その守旧性が指摘されることって、いままであったかな。
観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)
P.198
文和二年(1353)5月20日、鎌倉の龍口で北条時行・長崎駿河四郎・工藤二郎が処刑された(『鶴岡社務記録』)。北条時行は鎌倉幕府最後の得宗北条高時の遺児で、建武二年(1335)に建武政権に対する反乱を起こしたが(中先代の乱)、足利尊氏に鎮圧されたことはすでに述べた。
知らなかったなあ。中先代の乱で諏訪氏に担がれて登場したあと、おっさんがいままで読んだ本の中では登場してくることがなかったので、いったいどうなったんだろうと思っていたので、この本の中で武蔵野合戦で新田義興とともに戦ったことが書かれていた上に、最期までわかったのですっきりした。
観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)