きのうはまたしてもいつ寝たか記憶のないままに今朝になって目が覚めました。
テーブル上に飲んだ形跡のない紅茶が入ったカップが置いたままでした。確かに紅茶を淹れた記憶はあるのですが、なぜ一口も飲まなかったのか。
きのう、おとといとだいぶしんどい勤務でした。
それはさておき。
平凡社新書の「国衆」を読み終えました。
著者の黒田基樹氏の著書は「北条氏綱」、「戦国大名・伊勢宗瑞」、「家康の正妻 築山殿」に続いて4冊目の読了になります。
前回の「国衆」の読書メモにも引用した「国衆」の定義(前回引用は誤字多数でした恥ずかしい)、
戦国時代において、およそ一郡ないしそれ以上の規模で、一円的・排他的な領国を形成し、一族や従来からの被官にとどまらず、周辺領主をも包摂して、領国内のすべての領主層を一元的な主従制・知行制による家臣団に編成し、その領国を全くの自力によって統治する領域権力(P.16~P.17)
読書メモ「国衆」の1 - 「まなさんと一緒」の日々
それに加えて、
国衆は、領国支配は自立的におこなうが、軍事的・政治的には独立を維持できなかったため、戦国大名に従属、服属する関係にあった。(中略)戦国大名と国衆は、ともに独自の領国と家臣団を編成する、同質の領域権力ということができる。(P.18~P.19)
ということから導かれるのは、
領域支配を展開する領主権力のうち、
軍事的・政治的独立を維持できたもの 戦国大名
軍事的・政治的独立を維持できずに従属、服属したもの 国衆
という理解で基本的にはよいのかなと思います。
それに加えて、
戦国大名とは、(略)国衆を政治的従属下におき、領国統治や軍事・外交において、他者から何らの制約をうけることのない独立国家、という性格にあった。(P.74)
との記載があり、従属する国衆の有無も「戦国大名」と呼びうるのかどうかの基準になっている点も説明されています。
さらには、
~1960年代までの「在地領主」→「国人領主」→「戦国大名」の発展論
1960年代末、峰岸純夫氏の「地域的領主論」
1970年代末、矢田俊文氏の「戦国領主論」
と戦国期の領主についての議論の発展も簡単に説明されているので、この本の第1章だけでも読んだあとで、いろいろなこの時代の書籍を読むと理解が早いのかなと思いました。
ただ、「戦国大名」が「領国統治や軍事・外交において、他者から何らの制約をうけることのない独立国家」なのかどうかは、戦国関連の書籍を軽くしか読んでいないおっさんでも、やや疑問を感じるところではあります。
まあ、なんにでも例外はあるので、そこを突き詰めるのは野暮なのかもしれません。
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