「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

「逃げ上手の若君3」を読み終える

先日の10月16日がまなさんを拾って丸11年。

まなさんとの同居生活も12年目に突入しました。

 

 

小さい頃のまなさんは、かわいらしくてとても大好きだったけど、

おっさんは大きくなった今のまなさんの方が、もっともっと好きですよ。

 

 

 

 

 

今日もおっさんのひざの上で、夢をみてうなされるぐらい寝てたもんねえ。

おっさんのひざ、そんなに寝心地がいいとも思えやんねんけど。

 

 

体をなでて、着ていたフリースを脱いでまなさんにかけても、まなさんはまだ眠っていました。たくさん寝て、できるだけたくさんおっさんと暮らそうね。

 

 

 

それはさておき。

「逃げ上手の若君」。

 

 

この巻では「瘴奸」なる「悪党」が出てきました。

「悪党」といえば楠木正成ですが、作中でも楠木正成と倒幕戦ともに戦った仲というような描写がありました。

 

 

おっさん自身が「悪党」という言葉を説明できるわけもないので、「南朝研究の最前線」という本の中から引用します。

 

P.172~173

「悪党」とは、文字どおりの悪事をはたらく者という意味にとどまるものではなく、鎌倉時代の半ばごろ(十三世紀中ごろ)から南北朝期(十四世紀)にかけて、幕府や荘園領主などの支配体制に反抗したアウトロー的な集団を指す語である。戦後の歴史学において、鎌倉から南北朝期の社会変革の主体として脚光を浴びた存在でもある。

 戦後の悪党研究は、悪党が諸国を往来し、交通・流通の掌握をとおして、神出鬼没の活動を可能とする存在であったことをその特質として論じた。

 

 

 

 

「悪党」が出てきたとしたら、あとは「婆娑羅」ですか。

たぶん高師直が出てきたとしたらそこで説明されるでしょうから、もうちょっとあとの登場になるのかな。

 

 

次は、市川助房。

信濃守護、小笠原貞宗の腰巾着のような位置で現在は登場しているのですが、途中トレーディングカードのような形で記されている彼のページに「市川文書」なる言葉があり、検索してみると、

 

ja.wikipedia.org

 

 

すごいな、おい。

 

本間美術館所蔵品は、平安時代末期の1170年(嘉応2年)から室町時代の1423年(応永30年)まではほぼ揃っており、

 

 

こういう文書を残した一族だから、情報に気を配っていただろうということで、この市川助房は「耳が良い」という設定なんだな、きっと。

 

 

下書きではもっと長かったのですが、あまり長くてもしょうがないので、このあたりで。

 

oldtypeossan.hatenablog.com