前回の「イタリア現代史」はとても時間がかかったのですが、今回の「南朝研究の最前線」は1週間もかからず読み終えられました。読書時間をなかなか確保できない、おっさんの今の生活ではかなり早く読めたほうです。
やっぱり好きな本は早く読めますね。
でも、きっとその分理解が表面的なんでしょうけど、おっさんの読書なんて全て表面的な理解か、もしくは深いつもりの誤読ですから、なんの問題もないです(えっ?)。
P.29
この時代の国家の見方については、主に二つの説がある。
一つは「複合国家論」で(略)もう一つの見方は「権門体制論」である。(略)現在、どちらの見方も決定的な説とはなっていない。
と書かれているのですが、以前読んだ「承久の乱」では
P.148
ちなみに今の歴史学会では「権門体制論」が圧倒的な多数派です。
と書かれていたので、なんだかモヤモヤします。圧倒的多数派(「権門体制論」)だが定説にはなっていないということなんでしょうか。具体的な出来事についての記述の違いより、こういう大きな枠での違いって、とても気になってしまいますよね。
他に以前読んだ本の記述と関係して気になったのは、平泉澄についてですかね。
P.323
平泉にとっては、天皇の臣民として皇族のこと云々するのは三上(引用者注:歴史学者の三上参次のこと)以上に憚られたのではないだろうか。
と書かれているのですが、以前読んだ「皇国史観」では、1932年に昭和天皇の前でおこなった「楠木正成の功績」 というご進講の際に
P.159
「いかにも現在の陛下に当てつけるような風な話し方であった」という態度
だったらしく、 「天皇の臣民」なのだったらここはあてこするのではなく、臣下として直諫すべきなのではないのかと、おっさんは勝手に思ったりします。
主君に諫言するのは臣下の務めでしょ?諫言の可否は別として。
なんだか、そのへんがアンバランスな感じがします。楠木正成自身が、最後の出陣前に足利尊氏と和睦して、新田義貞を切り捨てるように進言しているのだから、その楠木正成を持ち上げるなら、平泉自身も直諫すべきなのではないかと思います。
他にもいろいろと興味深い部分があり、次に読み始めている「北朝の天皇」との合わせ技でいろいろと楽しめそうです。
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