今日はお休みで、夕方少し日が傾いてから自転車で加太や磯ノ浦の海水浴場に人がいるのか見に行こうと思っていたのですが、昼寝してしまいました。
本当に毎回、休みの日に午睡してるわ。
なんか夜勤の日の腹痛が続く件といい、どこか悪いのかしら?それとも心因的なもんだろうか?
それはさておき。
前回の読書記録を書いたときに、既に読み終えている本があると書いたうちの一冊がこの本、「皇国史観」。
すでに全体としての感想は忘れてしまっています。
まあ、おっさんの場合は本の全体を俯瞰的にとらえるというのが、とても苦手なので、読んでいる最中や、読み終えた直後でも、「では全体としてどんなことが書いていましたか?」と尋ねられると、答えられない可能性が大なんですけどね。
あれ?これって発達障害系?
いやいや単に能力が低いだけだろう、きっと。
いやいや、それもさておき。
何を書こうかなとこの「皇国史観」をパラパラとめくり付箋の入ったところを見返してみて、前回、前々回の読書記録で武家政権について書いたので、やっぱり南北朝正閏問題でしょうか。
南北朝正閏問題というのは、よく知られている通り、足利将軍家が支える持明院統の北朝と、後醍醐天皇が建武の新政が破れて吉野に奔って続けた大覚寺統の南朝のどちらが「正統」なのかを争う論争です。
検定だった小学校の教科書が国定になったのは1903(明治36)年。その国定教科書が南北朝を並立して執筆していたのが問題視されました。
追及の火の手が上がったのは教育現場からでした。たとえば小学校の校長などです。彼らは、なぜ南朝が正統だ、と書いていないのか、と激しい突き上げを食らわせてきました。それでは、これまで南朝の忠臣を模範にせよと教えてきたのは間違いだったというのか、と。(P.108)
ここを読んで思い出したのが、丸山眞男の本での一節。
たぶん「日本の思想」のなかの一文だったと思うのですが、
「小中学校の教員というようなエセエリート層が、ファシズム化していったので、日本のファシズム化はどうしようもなかった」
というような一文です。
この文章を読んで、おっさんは「エセとはいえエリート層に影響を及ぼすこともできない(丸山眞男らの)真エリート層は、ではどこになら影響を及ぼすことができるのか?結局自分たちの不作為を正当化したいだけではないのか?」と嫌悪感を覚えたので、文の中の言葉はかなり違っていたとしても、大意は間違っていないと思います。
もしかしたら、吉田秀和とのフルトベングラーについての対談の中でだったかな?
どちらの本も本棚の中にないので、処分したのか、再度文章を確かめようがありません。
この問題で国定教科書を執筆した喜田貞吉は休職に追い込まれるのですが、次のような逸話が語られています。
南北朝正閏問題に巻き込まれた喜田は面白い指摘をしています。南北朝の並立が問題ならば、なぜ後鳥羽天皇は問題にならないのか、と。これを突き詰めると、単に平家が悪役だから嫌いで、楠公は正義の味方だから好き、という単なる好き嫌いの問題になってしまうではないか、というわけですが、実はこれこそ的を射た議論でしょう。南北朝の問題は、実は正義かどうかという問題でもなく、好き嫌い、言い換えれば国民の美学の問題なのです。(P.110)
※後鳥羽天皇の問題とは、西走した平家が安徳天皇を同行したため、後白河法皇が異母弟の後鳥羽天皇を即位させ、安徳天皇と後鳥羽天皇の二人が二年間並立していた問題。
天皇の威光で日本全体に、たとえば徴兵されれば国民が文句を言わずに戦場に赴き死んでくれるような、動員を充足する国家を作りつつ、天皇の意思は常に抑制され、下々が天皇を飼いならしておくという、とんでもない語義矛盾ですが、そういう国家が伊藤の国家です。(P.129)
※引用中の伊藤とは伊藤博文のこと。
南北朝正閏問題の次の章「天皇機関説」の章でこのように述べられているのですが、つまり「国民が文句を言わずに戦場に赴き死んでくれるような、動員を充足する国家」のためには、南朝の忠臣が教育に必要だという国家の方針(とそれに適応した教育現場の希望)と、忠臣であり正義の味方が好きだという「国民の美学」の化合物として南朝が正統であらねばならなかったのでしょうね。
最後に余談をひとつ。いま、お手元の歴史年表などを開いて、天皇の系図を見てください。九十六代の後醍醐天皇から九十九代の後亀山天皇まで、正式な天皇と認められているのは南朝の天皇のほうです。実は、いまも私たちは南朝が正統であるという歴史観を生きているのです。(P.119)
ここまで読むと、前回の「中世社会のはじまり」の巻末の言葉とつながってきますね。
中世に生まれた思潮が現代にまで大きな影響を及ぼしていることである。その思潮の有する力が継承され、我々の今があるいっぽう、その思潮によって我々の考えが制約されているのも事実である。歴史に蓄積された力をいかにして発揮したらよいのか、逆にその制約からいかに自由になれるのか、考えてゆく必要がある。(P.241)
さきほど「南朝が正統であらねばならなかったのでしょうね」と書きましたが、過去形ではなく「あらねばならないのでしょうね」と現在形で書く必要があること。また「歴史に蓄積された力の制約」から「いかに自由になれるのか」を多少なりとも読書をする人間ならば、本当に考えていかないといけないのでしょうね。
なんだかきれいにつながった気がして、ちょっと賢くなった気がしますが、きっと気のせいですし、おっさん自身も明日になれば忘れてしまっていることでしょう。
また全体のまとめにはほど遠いですが、このあたりで。
「平泉澄」について書かれた第七回なども面白く、「皇国史観」なかなかおすすめです。
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