「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

「火車」を読み終える 読書量を増やすための読書記録58

前回読んだ「メグレと若い女の死」で「火車」と似た読後感を受けたおっさん。

 

oldtypeossan.hatenablog.com

 

その際に「火車」を引っ張り出していたので、もう一度読んでみることにしました。

 

 

 

平成4年(1992年)に刊行された作品なので、もう30年前の作品になるのか。

 

 

今作の主人公、新城喬子は両親の残した住宅ローンによる逃亡生活から人生を立て直すために、別人の身分を必要として、犯罪によってその身分を手に入れます。

 

 

その前に新城喬子としての新婚生活が住宅ローンの取り立てを続ける金融業者に潰されていく過程で、結婚相手から

 

P.456

死んでてくれ、どうか死んでてくれ、お父さん。そう念じながら、喬子はページをめくってたんですよ。自分の親ですよ。それを、頼むから死んでいてくれ、と。僕にはそれが我慢できなかった。そのとき初めて、喬子のそういう姿を浅ましいと感じてしまった。

 

との述懐があり、母親が借金を残して失踪し同じように借金の問題で悩んでいたおっさんは、「俺も同じように浅ましい顔で母親が帰ってこないように祈っているのだろうか?」なんて悩んだりしていました。

 

 

火車」の巻末に挙げられている「カード破産と借金整理法」を購入して、「こうなったらああしよ」、「そうなったらこうしよ」なんていろいろ考えていたなあ。

 

 

でも、それに合わせて同じ出版社の「口語訳民法」なんかを読んでいるうちに、法律に興味を持って文学部出身なのに行政書士の資格を取ったりしたので、おっさんにとってはマイナスばかりではないのかもしれんな。

 

 

読み直してみて、今までは特に何も感じていなかった一文が突き刺さりました。

P.494

これから先、お前たちが背負って生きぬいてゆく社会には、「本来あるべき自分になれない」「本来持つべきものが持てない」という憤懣を、爆発的に、凶暴な力でもって精算するーという形で犯罪をおかす人間があまた満ちあふれることになるだろう、と。

 

ほんま、そういう憤懣が満ちあふれるくだらん子どもじみた社会になってしまったな、とつくづく思います。社会全体が「貧すれば鈍す」という状態なんでしょうか。

 

 

この「火車」に限らず宮部みゆき氏の初期のミステリ作品は、上のような警句を含みながらも人間の心を信じる温かさが感じられる作品ばかりで、「魔術はささやく」とか「レベル7」とかをむさぼるように読んだなあ。