「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

おっさん、せっせと包丁を研ぐ(ちょっとしたホラー)

やばー、今日もかなりの時間、昼寝してしまった。

買い物に行けなかったので、明日の朝に食べる食パンがないでござる。

 

 

しょうがないので、ご飯を炊いて、今日の昼に作ったカレーを食べよう。

 

 

それはさておき。

おっさんは近頃せっせと包丁を研いでいます。

 

 

なぜかというと、釣ってきた魚を自分で調理する予定であるため(あくまで予定)。

 

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おっさん、三枚におろしたり、皮を引いたりできるかな?、ちゃんと包丁を研いでおかないと指を飛ばすかもしれんな、ということで包丁を研いでいるのです。 

 

 

ちなみに入浴時に、お風呂で裸で研いでいます。

今日なんか風呂場の蛍光灯が切れかけていて、充電式のLEDライトのほの明るい中でおっさんが裸で包丁を研いでいるので、もしも知らない人が光景を目にしたら、ちょっとしたホラーです。

 

 

なぜか、風呂場の蛍光灯、何度替えてもすぐに切れるんですよね。

ちなみに6畳間の電灯のナツメ球(豆球)もすぐに切れるので、こちらは交換を諦めて、上記の充電式のLEDライトを就寝時の明かりとして使用しています。

 

 

また話題が飛びましたが、こんなにせっせと包丁を研いでいるのに、なぜか包丁の刃がガタガタなんですよね。

 

 

切れ味自体は上がっていると思うのですが、研いでも研いでも刃こぼれがなくならないというかなんというか。

 

 

研ぎ方が悪いのかな?

まあ、包丁だけ研いでも実際の魚はいつ釣りに行くんですか?という話なんですけどね。今日はダイソーにルアーを買いに行くつもりだったんだけどなあ。

おっさん、まとめ買いをする その3釣具

連続してブログ化するつもりがすっかり時間が空いていしまったまとめ買いシリーズ(シリーズ?)。

 

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その3はルアーロッドとリール。

 

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そもそもなぜ釣具を買おうと思ったのかというと、先日初めて面会した娘さんへの仕送りを増やしてあげたいと強く思ったのですが、収入が増える見込みがまったくないので、釣った魚を食べることによって支出を減らして、仕送りに充てられないか?と考えたためです。

 

 

(このにじみ出る貧乏感。たまらんね)

 

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貧乏感にふさわしく、買った竿も貧乏感あり。

でも、安いのにロッドケースと収納袋も付いているというすぐれもの。

 

 

選んだ基準は、おっさんは釣りに原付で行かねばならないので仕舞寸法(短くした状態での長さ)が短いものを選びました(あと安さと)。

 

 

リールはこちら。

 

 

安いしいいかと思い、購入したのですがハンドルがが曲がらないので失敗したかあと思っています。

 

 

現在はPEとか道糸としては一般的なようですが、おっさんが子どもの頃はナイロンラインが一般的だったのでナイロンライン付きのものを購入しました。

 

 

あとPEは電車結びがあかん、となにかで読んだような気がしたので、PEラインを避けたのですが、よほど大物釣りでなければPEラインとリーダー(ハリス)のすっぽ抜けはないみたいな記述もあり、それならPEライン付きのリールでも良かったか?と少し後悔しています。

 

 

あとはルアーを購入すれば釣りに行けるのですが、ルアーを全然用意できていないので未だに一度も釣りに行っていない状態です。

 

 

なぜルアーなのかといえば、活餌を釣行のつど買うのがめんどくさいことと、エサ代がかかると支出を減らすという趣旨から外れる可能性があるため。

 

 

アジでもサバでもガシラでもなんでもいいので、食べられそうな魚を1、2匹釣ったらクーラーボックスもないのでとっとと帰ってくる予定の釣りです。

 

 

釣りを覚えておけば、ホームレスになっても魚は食べられる!のです。と大和川の橋の下で鯉を手釣りで釣っているホームレスのおっちゃんのような思考になったので、今回はここまでにしたいと思います。 

 

 

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試しに竿を継いでみたところ、まなさんも興味津々なご様子でした。

「FACT FULLNESS」を読み終えるーーー読書量を増やすための読書記録42

 

 

実は、この本を読み終えたのは、読み終えてだいぶ経つと書いた「ビザンツ帝国」よりも更に前で付箋はたくさん貼ってあるのですが、内容はいつもどおりにほとんど覚えていません。

 

 

うろ覚えな内容を書き出すと、社会人は自分が学校で習ったような古いデータ、古い知識を元にして、それと同じ状態がいまも世界に継続してあると思ってはいけないということ。

 

 

データを単純化して自分の思いこみだけで判断しない。

判断する場合は傍証や別のデータで裏を取るべきであるみたいなことが書いてあったように思うのですが、まあ、それすら定かでありません。

 

 

しかし、まあおっさんが学校で習った世界の様相とは違うのだということは、肝に銘じないといけないですね。だってすでに地図に載っている国の名前からしておっさんのこととは違うのですからね。

 

 

おっさんが学生だった頃には、まだソ連があり、ドイツは東西に分かれていたんですからね。共産圏がなくなれば、経済の流れも変わるでしょうし、おっさんの古い社会科の知識がアップデートなしでは、通用しないのは当然のことでしょうね。

 

 

そういったことに気づかせてくれただけでもこの本を読んだ価値が合ったのではないでしょうか(無理やり)。

 

 

前回

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「アルジャーノンに花束を」(新版)を読み終えるーーー読書量を増やすための読書記録41

 

アルジャーノンに花束を〔新版〕

アルジャーノンに花束を〔新版〕

 

 

おっさんが初めて「アルジャーノンに花束を」を読んだのは、大学生の頃。

まだ単行本しか発行されていなくて、オレンジ色?ピンク色?の鮮やかな表紙の旧版でした。通学の電車で読み終えて、最後に近いページは電車の中で泣いたら恥ずかしいからと涙を精一杯こらえていたのを思い出します。

 

 

あの頃のピュア?な自分は、もうどこにもいないんだな、なんて寂しく思いながら読み返してみました。

 

 

きのうは職場でインフルエンザの予防接種があり、そのために昨夜夜勤だったおっさんは通常の夜勤の勤務よりかなり早く出勤しました。そして、インフルエンザ予防接種の後の勤務を待つ時間に、空いている入所者さんのベッドに腰掛けて終いのページを読んだのですが、人目もはばからずに泣いてしまいました。

 

 

爽やかな温かい涙を流したあとで、いつもより優しい気分で勤務・・・はできなかったのですが、この本のことを誰かに伝えたい気持ちになり、入所者さんにあらすじを熱く説明してしまいました。

 

 

大学では歴史を専攻していて、福祉について何も知らなかったおっさんですが、いまは福祉の職につき、ノーマライゼーションとかソーシャル・インクルージョンとか用語は覚えたけれども、おっさんはその職にふさわしい何かを身につけたのだろうか?

 

 

主人公チャーリー・ゴードンが

P.363

人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもない 

というように、おっさんは施設で「人間的な愛情」をバックに入所者さんに意見や介助をおこなっているだろうか?

 

 

チャーリーがたまたま入ったダイナーで他の知的障害の少年をかばったせりふ、

P.295

たのむから、この子の人格を尊重してやってくれ!彼はにんげんなんだ 

 というせりふを入所者さんは心の中で、おっさんに対して叫んでいないだろうか?

 

 

手術で得た知能を失っていくチャーリーが最後にニーマーにおくる

P.449

ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。ぼくわこれから行くところで友だちをいっぱいつくるつもりです。 

なんて自分に言われているようで心に刺さりました。

 

 

本当に何度読んでも、あらすじを覚えていても最後はいつも泣いてしまうのですが、「泣ける本」なんて帯をつけられると、なんだか違うなと思ってしまいます。ただ「泣く」ことが目的なのだったら目の下にメンソレータムを塗るのが手っ取り早い。まさに「人間的な愛情」の問題ですよね。

 

 

 昔、読んだハヤカワの「SFハンドブック」。たぶん下の本だと思うのですが、そこに載っていた「アルジャーノンに花束を」を薦める一文の著者が、予備校で机に書かれた「Flowers for Algernon」という落書きを見つけて、そこに「頑張れ、チャーリー・ゴードン」と書き加えたというエピソードも、おっさんはなんだか好きなんですよね。

 

SFハンドブック (ハヤカワ文庫SF)

SFハンドブック (ハヤカワ文庫SF)

  • 発売日: 1990/07/15
  • メディア: 文庫
 

 

 

中学のときのある同級生のことも思い出すのですが、長くなりそうなので、それはまたの機会にでも。

 

 

前回

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おっさん、職場でがっかりする

きのうは入浴当番だったおっさん。

おっさんの職場では、浴場2名、着脱衣場2名の計4名で介助入浴をおこなうのが一応基本形で、きのうもそんな感じでした。

 

 

で、もう一人の浴場担当者と着脱衣場の2名でなんかやってるなと思ってみたら、ある歩行器利用の入所者さんの下衣(ズボンとリハビリパンツ)を立位(立ったまま)で脱がせていました。

 

 

その時は浴場で別の入所者さんの入浴介助をおこなっていたので、のちほどその3人に注意したところ、「このおっさん、なんでそんな細かいことをクドクド注意してくるの?」って感じでした。

 

 

うわー。

おっさんの施設では男性職員がこの春から3名増えたこともあり、もっと高度な介助をなんて管理職は言っているのですが、やってることは立位で服の脱衣かよ。

 

 

あははは。笑ける。

そのうちの同じ法人内の他施設から来た経験者に「なんで立位で脱衣なんですか?」と訊いたら、「わからないです」との返答。

 

 

こいつ、経験者として異動してきたくせに、先日は夜勤明けに「入所者さんが転倒しているんですけどどうしたら良いですか?」と訊いてくるなど、「本当に経験者?」と思わせられるエピソードのあとに、今度は立位で脱衣かよ。

 

 

もう、心底がっかりしました。

 

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がっかり続きで仕事へのやる気が出まくりです。あーあ。

ここの職場の職員は、リスクを検討するということができないのかな?

脳みそついてないのかな?

 

 

11月15日:語句追加

今度はブリの切り身二切れで米二合を食べる

先日、鮭の切り身二切れで米二合を朝ごはんとして食べたおっさん。

 

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きのうの朝は、ブリの切り身二切れで、またまた米二合を食べてしまいました。

 

 

グリルの中で、脂の乗ったブリが脂身をパチパチといわせながら焼けている光景が、実にそれだけでうまそうでした。

 

 

焼き魚が美味しそうに感じるときは、外はパリッ、内はネトッとした感覚の皮がこれまた身と同じぐらいにうまかったりします。

 

 

やばいな。

米離れがいわれる現代日本でペロッと米二合を食べるおっさんは、昭和20年台あたりに生まれていると食生活は、おっさんの体質とマッチしていたんだろうなと思います。

 

 

でも、昭和20年とかに生まれていると、おっさんみたいな腕力のない男は、腕力にモノをいわせる気風が合わなくて、きっと今よりも更に社会に不適合だろうな。

 

 

というか、おっさんの場合、いつに生まれても社会に不適合な感じがするので、自分で感じる通りあまり人間が向いてないんだと思うんですよね。

中学の同級生の死と、若くして亡くなったKen君の思い出

今日、中学の時の同級生が亡くなったと連絡がありました。

詳しい経緯はわからないのですが、子どもさんがいるかどうかは知らないのですが、かなり歳下のお嫁さんがいて、ご両親もまだご健在のはず。

 

 

残されたご身内の悲しみは深いだろうなと思います。

 

 

おっさんは同級生の死に際して、大学1年生のときになくなった高校の同級生Ken君を思い出さずにいられません。

 

 

南海高野線沿いにあったおっさんの出身高校へは、あまり南海本線に近い地域から通っている生徒は少なくて、同じ本線沿いで隣の駅に住んでいるKen君とは帰り道で一緒になったりしました。

 

 

おっさんのこぐ自転車に二人乗りしてKen君の家まで送っていったことも何度かあります。

 

 

浪人生の時期もたまに連絡があり、「立命(館大)の受験票、使わん学部の分おっさん使いなよ、あげるから」なんて言ってくれたのを覚えています。

 

 

Ken君は一浪のあと九州の大学に進学したのですが、そこで入浴中に亡くなりました。もともと心臓が弱かったのだそうです。葬儀で悲しんでいたご両親と妹さんの姿を覚えています。

 

 

Ken君はとてもおっさんのことを気遣ってくれていたのですが、おっさんは失踪した母親の問題やそれに伴う自分の心の問題でいっぱいいっぱいで、とてもKen君のことを気遣う余裕がありませんでした。

 

 

心臓が弱いこともKen君からは一度も聞いたことがありませんでした。

 

 

Ken君が亡くなってから30年。

おっさんは未だにKen君にとっておっさんはいい友達だっただろうか?と悔恨のうちに考えることがたまにあります。

 

 

きっといい友達ではなかった。

Ken君が存命なら詫びることもできるのですが、それはかないません。

 

 

彼に対して、自分の問題から心を開けずにいい友達ではなかったと後悔するのに、いまだに他人に対して心を開くことがとても苦手な自分を抱えて生きています。

 

 

優しかったKen君は若くして亡くなり、おっさんは自分のうちの冷酷な自分を抱えたまま生きている。なんとも皮肉な話です。

 

 

Ken君のご両親が母校に寄贈した部活の旗。

いまもあるのだろうか。それも一度見に行こうと考えたまま年月が過ぎ、年老いてきた自分が鏡に写ります。