重源上人の坐像。
ぱっと見、手にひもに通した銅銭を数えているのか?と思いましたが、そんな訳はなく数珠を手繰っておられるのだそうです。
東大寺を再興したという説明書きからお金のやりくりが大変だっただろうなという、こっちの勝手な印象が数珠を銅銭に見せたわけですね。
ただ僧侶がお金に関わらなかったかというと、そういうわけではなく、禅宗内でいうと東班衆という禅宗内の経済官僚みたいな人たちもいたわけですよね。
それに対して教学面を司る人たちを西班衆といったみたいです。
他宗派でいうところの学侶と大衆みたいな感じですけど、単なる宗派による呼び方の違いなのか、具体的になにかが違うのか、勉強不足のおっさんはわかってないんですよね。
中世の大寺社が、信仰の対象である寺社でありながら、封建領主という面も合わせ持っているので、寺社内には領主としての技術官僚みたいな人がたくさんいたというが面白いですよね。
その1