巻頭のうた
み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり
作者は藤原良経という人物。
でも、源平の争乱期をすぎて、摂関家が五摂家に分裂していく過程なので、九条良経とも書かれるみたいです。
死因が「頓死」と書かれていて、
落馬でもして亡くなったのだろうか?と思っていたのですが、
この藤原良経の百人一首に選ばれている歌の解説動画を見てみると、「やりで突かれて亡くなった」とのこと。
ひぇ!後鳥羽院の院政下で、どれほどの権力があったか、おっさんはわかりかねるのですが、摂政が「就寝中にやりで突かれて死ぬ」って、鎌倉時代前期、治安が悪すぎへんか?
ちなみにこの歌は新古今和歌集の巻頭の歌でもあるみたいです。
つまりはその時代の文化を牽引する人物であったはずなのに、やりで突かれて頓死。かつ犯人、真相がわからんとはなあ。権力者の家なんやからそれなりの備えもしてあっただろうに。