先日、購入したと書いた「保守主義とは何か」。
その中で著者は、伊藤博文から陸奥宗光を経て、原敬へと継承される路線を近代日本における保守主義の本流と位置づけています。
その中の陸奥宗光はおっさんが居住する和歌山の輩出した偉大な先人の一人です。以前、知り合いに陸奥宗光の説明をする時に「竜馬がゆく」にも出てきたでしょう?と説明したのですが、「えー、そんな人出てきた?」みたいな返答でした。
「竜馬がゆく」を1回しか読んでいないおっさんが覚えているぐらいだから、結構印象的な働きであったと思うのですが、その人は覚えていませんでした(和歌山に来てからの話です)。
そのように出身地の和歌山ですら忘れられた人物になりつつある?陸奥宗光ですが、
P.175
長い獄中期間を通じて学問の習得につとめた陸奥は、荻生徂徠の著作と同時にベンサムを読み込んだという。ベンサムを通じて英国の功利主義を学んだ陸奥は、社会の発展の鍵は個人にあり、政府はこれを妨げてはならないという自由主義の思想を自らのものにする。
と紹介されています。
陸奥がベンサムとともに読み込んだという荻生徂徠(おぎゅうそらい)。
おっさんは歴史が好きな人なので、荻生徂徠が貧乏をしていておからばっかり食べていたと言われることや、その貧乏な荻生徂徠をみこんで娘婿にしようとした商家がいた際に、荻生徂徠は「蛇に小さな傷がついても大蛇になったときには大きな傷に見えるだろう」と今は貧乏な自分が大物になった時に、商家のお金で養われたという小さな傷が大きく見えるというような理屈で断ったというエピソードは知っています。
でも、荻生徂徠の思想や著作なんて全くといっていいほど知りません。
もちろん西洋由来の思想や制度が現在の日本の基礎になっている部分が大きいので、忘れられていく東洋、日本の思想家がいても当然なのですが、かけらも知らない、全く知らないのでは優劣も論じることができません。
そのような形で、日本人大きく広げればアジア人の思想が忘れられていくのは、とても悲しいことだなと不勉強な自分を恥じるとともに、残念に思いました。