京都へ「国宝」展を見に行った際の往復で読み終えました。
五味さんは後白河法皇の男色の相手を研究しているうちに、神護寺にある藤原隆信筆の後白河法皇の似絵を囲んでいた、四点の似絵に描かれている四人の男ー平重盛、藤原光能、平業房の三人は確実に後白河院の男色の相手であることに気がついた。とすれば四人目の源頼朝もまた、男色の相手ではなかったか。(P.87)
五味さんというのは五味文彦のこと(引用者)。
という文章を読んだあとなので、「国宝」展に展示されていた神護寺の「伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像」の三幅をニヤニヤしながら眺めました。「そういえば、男ぶりを強調して書いてあるようにも見えるなあ」などと。
これだけでも読んだ価値があるというものです。
あとは、明治について語った部分で、鳥居民の「横浜富貴楼お倉」から
(明治の)元勲たちはみんな自信がなかった。彼らはもう駄目だと思ったときに、彼らの根本方針である文明開化の象徴、しかも自分たちがつくった鉄道を走る汽車に乗って横浜へ行った。そして、「どうだ、すごいじゃないか、やはりわれわれの大方針は正しいのだ」と自分に言い聞かせて、自己激励をした(P.278)
との見方を目にした時は「なるほどな」と思いました。
司馬遼太郎史観に慣れた僕なんかは、明治の元勲は文明開化に絶対的な自信を持っており、西欧列強に追いつくことだけを考えていた鉄の意志の持ち主なんて考えてしまいがちですが、「大方針」についてさえ揺れていたのではないかという、この文章を読んで人間らしくて好ましいと思いました。
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