前々回のおやすみ、連休の初日にまなさんを拾った場所、おっさんが以前住んでいた大阪の玉造を訪れてみました。
まなさんを拾ったのは神社に付属する公園に通じる道で、その神社にまなさんが亡くなったことを報告して、まなさんの冥福を祈りたいと思いました。
というより、まなさんを亡くして最初の外出は、それでないといけないと思いました。
上の鳥居の写真はマップ内の赤矢印の方向から撮った写真です。
まなさんを拾った場所は赤丸のあたりになります。
神社にお賽銭をして手を合わせました。
神社の近くで拾ったまなさんが亡くなったことを祭神に報告して、まなさんの冥福を祈りました。
本当はこんな報告をしたくありませんでした。
そのあとまなさんを拾ったあたりに行ってみました。
まなさんはこの階段でちくわを餌にして近寄ってきたところを、洗たくネットに入れて自宅に走って帰りました。とてもドキドキしたのを憶えています。
この階段前のマンション。
いま車が止まっているところがゴミ捨て場だった気がするんですよね。
まなさんはそこでゴミを漁って生きてました。
まだ子猫なのに「お母さん!」って泣いて回らずに、一人でゴミを漁って生きているたくましい賢い子猫さんでした。
この成猫さんを拾って帰ろうかと一瞬考えましたが、それは無理だし、まなさんを拾った時期と同じように缶詰が置かれていたり、水入れが置かれていたので、餌やりさんがいると思われるので、きっと心配をかけてしまいます。
13年前、実はここらあたりにいた成猫さんを拾おうと考えていたら、急に現れた子猫がまなさんだったんですよね。初めて見かけて二日目か三日目に拾ったように記憶しています。
まなさん、北側に窓のある部屋だったので、天神祭の花火のてっぺんが見えて、花火の音が聞こえたねえ。ベランダで過ごすまなさんの姿と、その花火のことがなぜか思いだされました。
抱っこして一緒に花火を見たけど、まなさんは憶えていないだろうな。
そのあと、まなさんを拾った翌日に診てもらい、避妊手術もしてもらった動物病院を見に行きました。
玉造には夜間の動物の救急センターがあります。
玉造に住み続けていたら、もしかしたらまなさんを救えたのではないか、と夢想してしまいますが、その場合はおっさんの人生自体もいまとは全く違うので、果たしてどうなっていたことか。
まなさん、まなさんと暮らした街はとても変わってしまっていました。
意地悪な先輩職員に帰り際にできていない仕事を指摘されて、それをこなしている間に終電に乗れなくなり、豊中から歩いて帰ってきたときも、まなさんは待っていてくれたね。
ごめんね、まだ若猫のまなさんはきっと寂しかったよね。
梅田までしか電車がなくて梅田から歩いて帰ったこと、京橋までしか電車に乗れなくて、残りは歩いて帰ったことは回数が多すぎて憶えていないぐらいあったので、まなさんは本当に寂しかったと思う。
ごめんね、まなさん。
でも、まなさんがいてくれたから、うつにはなったけどなんとか生き残れたよ。
こんなかわいい顔でまなさんが待ってくれているんだもん、おっさんはそのおかげで命を繋げたよ。
この写真も撮影時間深夜の1:30ごろだから、梅田から歩いて帰ってきた直後かな。
おっさんの命をつないでくれたまなさんの命を守れなくて、本当に悔しいよ。
ごめんね、ごめんね、ごめんね。
こうして書いていると、まなさんが待っているからと終電の終わった街を早足で歩いているおっさん自身が目の前に浮かぶような気すらするよ。
ありがとうね、まなさん。
おっさんを守ってくれて。