「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

おっさん、5年近く放置した「十二人の怒れる男」のDVDを鑑賞する

きのうは夕方に自転車で出かけようと思い、その前に天気予報を見たところ、西から雨雲が近づいてきているとのこと。

 

 

ものすごくいい天気で「ほんまに降るんかな?」という感じだったのですが、あっという間に暗くなり、まもなく雨が本降りになりました。

 

 

出ていかなくなったので、近頃休日の過ごし方がちっとも建設的でないと思っていたので、DVDを見ることにしました。

 

 

過去記事を検索したところあらかた5年前に購入したDVD。

 

oldtypeossan.hatenablog.com

 

しかも封を切っておらず5年間棚に放置。

そのうちの一枚、「十二人の怒れる男」を見ました。

 

 

 

 

見ようと思ったのは、近ごろの休日の使い方に我ながら反省したことと、三谷幸喜の出ているYouTubu動画を見たため。

 

 


www.youtube.com

 

 

三谷幸喜が「12人の優しい日本人」を作っているぐらいなので、「十二人の怒れる男」を大好きなんだろうなと思っていたのですが、熱く語っているのを聞いていたら、また見たくなりました。

 

 

 

おっさん自身は、この「十二人の怒れる男」との出会いは、大学の心理学の授業でした。1年生のときの単位取得の状況がとてもよろしくなく、2年では巻き返さないと、と土曜日に取っていた「心理学」の講義。

 

 

関大出身の若い先生で授業も面白く、とある日の授業でこの「十二人の怒れる男」を「いままで説明したいろんな心理的な効果が全て出てきます。映画を見て、その効果を読み取ってください」というようなことをおっしゃってました。

 

 

そのあともレンタルで1回は見てますので、今回は3回目の視聴。

今回見返して思ったのは、凶器のナイフと同じナイフを机に突き立てたシーンが印象的なせいでヘンリー・フォンダ演じる8号陪審員が終始議論を先導していたような記憶でしたが、そんなことはなく、

 

 

「なぜ容疑者は父を殺した現場に戻ったのだろう」との11号陪審員の問いであったり、目撃したとの証人の鼻の横の眼鏡のあとをこする仕草を9号陪審員が発見したりと、まさに参加している人物の知見が生かされているんだな、と思いました。

 

 

途中、民主主義の強さがこの国の強さなんだ、という意見が開陳されますが、まさにその通りで、この陪審員というごく小さな社会ですら参加者のいろんな知見で改善、正しい方向に導かれます、あなたの社会もそうではないですか?と問いかけているんだろうな。

 

 

あとは「立証責任は検察にのみある」とか、「合理的な疑問があるうちは有罪ではない(疑わしきは罰せず)」の原則とか、そういう刑事裁判の一番の基本的な部分を陪審員制度を導入している国は、国民に身をもって体感してもらうために位置づけているのかな、とか思いました。

 

 

いま見ると、陪審員が全員「白人」の「男性」ばかりですが、そこは時代的にしょうがないのかなと思います。

 

 

おっさんが初見のときに驚いたのは、有罪無罪の決を取るときに、有罪は「Guilty」で無罪も「無罪」という単語があると思っていたのに、「Not guilty」だったこと。

 

 

なんだか罪があるのが自然で、ない状態は自然ではないと考えているのだろうか?とか、そんな感じに襲われました。