「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

「史伝 北条義時」 読書量を増やすための読書記録61

前回、大河ドラマにちなんでたくさん出版されている徳川家康の関連本の中から、「家康の正妻 築山殿」を読んだ感想を書きました。

 

 

実は昨年の「鎌倉殿の十三人」の際も、鎌倉幕府設立期に関連した本を読みました。それが今回感想を書く「史伝 北条義時」です。

 

 

読み終えたのは1年以上前だと思うのですが、感想をうまく書きたい、と空回りして、なかなか書けず、ついに書けないままだったのですが、アウトプットも数をこなさないとうまくなるまいと思い直して、いまさら感想のかけらのようなものを書いてみることにしました。

 

 

 

従来は荒くれの関東武士の気風になじめず、和歌や蹴鞠に流されていた文弱の将軍とされていた源実朝。しかし、以前読んだ「承久の乱」などでは、そんなことはない実朝は将軍としての権威を有し、文弱ではなかったと再評価されていました。

 

 

 

ところが今回の「史伝 北条泰時」では承元二年(一二〇八)に実朝が疱瘡に罹患したあと、建暦元年(一二一一)まで約三年、鶴岡八幡宮への参詣がおこなわれておらず、将軍が幕府祭祀に参加できない特殊な状況に陥っていたこと。

 

 

またこの期間を愚管抄で有名な慈円は「御籠居」と記す書状を書いているようで、そのような状態で政所開設とともに将軍が親裁し、積極的な政策を展開したとする近年の実朝を評価する姿勢に疑問を呈しています。

 

 

P.170

およそ統治者の身体というのは、自然や社会の身体と目され、国の安定と繁栄には統治者の健康と長寿が不可欠であった。このような統治者の身体と国の安定・不安定を結びつける観念は、中世、ましてや日本に限ったものではない。

 

という一文もあり、かなり納得させられる部分がありました。

 

 

まあ実朝が健康な統治者であれば、わざわざ後鳥羽院の皇子を実朝の次の将軍として迎えようとの動きが実朝の存命中にはっきりとは出ないだろうから、将軍としての意思はともかくとして弱い部分の見える将軍だったのではないかなと思ってしまいます。

 

 

一年経って、一番印象に残っている部分はここかな。

去年の「鎌倉殿の十三人」では実朝はどんな風に描かれていたんでしょうかね。テレビのないおっさんには知るよしもありません。

 

 

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