頭痛の影響なんでしょうか?
きのうも仕事から帰ってきて、ご飯を食べたらいつの間にか眠りに落ちていました。
はて、何時間寝たものやら。
どうも首肩を中心に体が重い、しんどいんだよなあ。
それはさておき。
読了しました「中先代の乱」。
好きが高じるとはこういうことか、というあとがきは心地よいものでした。
いつもどおり内容をコンパクトにまとめるような器用なことはおっさんにはできないので、巻末の北条氏について小話を紹介したいと思います。
この本は鎌倉幕府の執権北条氏の最後の得宗(簡単にいうと直系の家督者)の遺児北条時行が主人公なのですが、北条氏といえばもう一つ、戦国時代の俗にいう後北条氏があります。
北条氏と後北条氏には血縁などはなく、後北条氏が伊豆から相模、武蔵と版図を拡大していく際に、通りのよい看板的な意味合いで「北条」の名乗りにしたと、この本を読むまでは思っていました。
しかし、後北条氏の二代氏綱の妻で三代氏康の母である養珠院殿なる女性は、北条時行の後胤と伝えられる横江氏の出身であった可能性があるそうです。
P.189
伊勢氏が北条に改姓する根拠とするために、時行の子孫とされる横江氏の娘を氏綱の妻に迎えた可能性も考えられる。(中略)重要なのは、横江氏が実際に北条時行の子孫であるかどうかではない。北条時行の子孫という伝承が、利用価値のあるものだと伊勢宗瑞・北条氏綱父子に判断されたことにある。
(引用者注:伊勢宗瑞、北条氏綱と親子で姓が違うのは氏綱から北条を名乗ったため)
おっさんが全然関東の地理や、武士団に詳しくないので、横江氏がどういう氏族なのかが全くわからないのは残念です。
それをどけても、おもしろいなあ。
関東の地はかわらぶきのお城なんかほとんどなくて、板と土でできた城ばっかりだったなんていうから、意外に鎌倉時代あたりから生活が変わっていなくて、古い時代を慕う気持ちが強くて、「北条」の名前の通りが良かったりするんだろうか?
上の三行はおっさんの勝手な想像ですけど。
次は職場では「戦争は女の顔をしていない」、自宅では紹介されている曲を聴きながら「社会思想としてのクラシック音楽」を読もうと思っています。