しばらく前からアジア主義について興味がある、というか本を読んでみたいなと思っていて購入した一冊。
おっさん、大正から昭和前期ぐらいのいわゆる戦前の歴史は好きでそこそこ本を読んでいるので、頭山満の名前ぐらいはもちろん知っていました。
でいろいろときな臭い昨今、戦前のアジア主義者の主張に全然共感はできないおっさんですが、アジア主義者たちは少なくとも自国以外のアジア、東洋に興味や共感はあった。しかし、いまの日本人にアジアに対する興味や共感はあるだろうか。
蔑視して下に見たいという欲求はあるかもしれないが、興味や共感もないとしたら戦前よりひどいんじゃなかろうかと、少しアジア主義者のことを見直したい気がしました。
そんなわけでアジア主義の本を読みたいと思い手に取った一冊なのですが、やっぱりこう納得できないわけです。
P.61
当山の考えでは、明治以降の時代にあっては、武士道は治者・被治者の双方を貫く日本国民全体の精神でなければならない。そして、それによって維持されるべき国家は、天皇道をもって特徴とするものであった。
頭山がいう「天皇道」とは、神格化された天皇制イデオロギーを意味している(略)
おっさん、サムライジャパンとかそういう表現自体も大嫌いなのです。たぶんサムライジャパンとかいう表現が頭山の考えと通底している気がするんだろうな。
P.71
頭山は日本・中国・インドが中心となってアジア解放に立ち上がるべきだと考えていた。(略)アジア諸国による攘夷によって、西洋諸国はアジアから駆逐され、その空間に日本の統治イデオロギーが充填されるという構図が浮かび上がってくる。
まあ英米を駆逐したいという気持ちは理解できる(頭山の当初の思想的盟友、近衛篤麿の子、近衛文麿が書いた『英米本位の平和主義を排す』でも表明されているように日本人の多くが持っていた感情なのだろう)のだが、そこに無条件で日本の統治イデオロギー(天皇道)が充填されるという理屈がわからない。
P.223
日中戦争について
英米こそが頭山にとっての最大の敵であった。アジアを搾取・侵略し、アジア人同士を戦わせる英米の非道さに対する憤りが、彼の武力主義の背景にあったといえるだろう。頭山にとっては、西洋に操られている状態の中国を、武力によって覚醒させることが戦争の目標であった。
それならなおのこと、英米のしないこと、中国に「利」のあることをおこなうべきであろうと思われる。例えば、イギリスが協力しておこなった幣制改革(リース・ロスの幣制改革)に日本も支援するなどという道もあったのではないか(しかも日本はイギリスに参加を求められて断っている)。
政府関係者ではない在野の頭山に求めることではないかもしれないけれど、排日取締、暴支膺懲ではいくら戦争が嫌でも中国も握手しましょうとはならないわな。
P.236
太平洋戦争の開戦についての談話
八日の朝、いよいよ(原文では同じを表す記号表記)開戦と聞いて、これで大丈夫と考へた、戦を開きさへすればよい。日本が負けよう筈がない。勝つに決まつている。
P.237
日本国民は大いなる自信を持つ必要がある。かつて謳われたような、「世界の大勢に順応する」などという消極的な姿勢であってはならない。世界を率いていくという自信を持って、この戦争に臨む必要があるというのである。
この辺りまでくると、その自信の根拠はなに?と問いたくなる。
確かに日本は他の東洋の国々に先駆けて近代化した。しかし、それは多分に運の要素も含まれており、日本人が東洋の他国、ましてや近代の西洋的なシステムをも凌駕したということにはならないだろうと思ってしまう。
でも先日2月11日の朝日新聞の書評欄を見ていたところ、渡辺京二氏の紹介のなかで
「歴史は日本という神国による欧米資本主義の克服という流れにそって進む」と信じた軍国少年
であったと渡辺京二氏が紹介されているんだよな。
きわめて知的な印象の氏ですらそうなのだから時代の雰囲気というのは、恐ろしいというべきなのだろうか。
ただもっと個別の人間にフォーカスしたものではなく、思想の流れとしてアジア主義を読んでみたいという気持ちは引き続きあるので、下の3冊のうちどれかを読んでみたいかな。
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