ようやく読み終えた「戦争は女の顔をしていない」。
とても感動的な本だったのに、それをうまくまとめることができない。
悲しいことですが、まとまらないままに書きたいと思います。
控えめに言ってもよい作品でした。
共産圏といえば男女平等が原則で、社会的に女性も男性と同等に扱われているイメージを、おっさんは持っていました。
したがって、総力戦の中で男性の代替えとして女性が戦力の一部を担っていくのは、ある種当然のこととして受け入れられていたのかなと、読む以前は思っていました。
しかし、第一次世界大戦中に社会主義革命を起こしたロシア帝国がソビエト連邦となっても、ヨーロッパの最貧国といってもいい状態であったロシアの人々の意識が急速には変わるわけもなく、戦中はともかく、戦後は男性の活躍の場である戦場(文字通り)に乗りこんでいった厄介者のごとくに扱われ、沈黙せざるを得ない女性兵士がほとんどであったようです。
あとがきなどによると、ソ連軍には100万人をこえる女性が従軍していたようですが、そんな彼女たちから聞き取りをおこない、その聞き取りをまとめたのが本書です。
この本を読むと、この当時のソビエトが成立して間もない若い国家であり、その国家の初の総力戦(第一次世界対戦のときはまだロシア帝国なので)である第二次世界大戦(主にドイツとの陸戦)に若い世代の彼女たちは自ら若い国家の戦いを担う人材として、志願して従軍していっているのがわかります。
なんだか小林源文の漫画なんかを読んでいると、「ちょび髭が判断ミスをしなければドイツはソビエトを打ち負かしていた」と言わんがばかりの描写に思えるのですが、この本を読むと、とてもそうはならなかっただろうなと思えます。
スターリンの過ちを責めるインタビューの受け手もいるのですが、「私たちの国」を侵してきたファシストをいかなる犠牲を払ってでも追い返そうという気持ちは、ほぼ全員に共通しているように思われます。
日本人のナチスを高く評価したい気持ちには、戦前も戦後も脅威であったソビエト、共産主義の敵であるナチスを勝たせたい、という願望がかなり混じっているのかもしれないですね。
おっさん、ロシアを舞台にした「オリガ・モリソヴナの反語法」もとても衝撃を受けた本だったのですが、この「戦争は女の顔をしていない」もなんで今まで読んでなかったんや!と思うぐらいの本でした。
同じ時代背景を持った「同志少女よ、敵を撃て」という小説が近々刊行予定なので、そちらもぜひ読んでみたいと思っています。
戦争に勝利しドイツにやってきた女性兵士の一人が、
P.450
まず驚いたのは道路が立派なこと。大きな農家、花を植えた植木鉢、きれいなカーテンが納屋の窓にまで引いてあります。家の中には白いテーブル掛けのかかったテーブル。高価な食器。磁器です。そこで初めて電気洗濯機というものを見ました。どうしてこんなに良い生活をしている彼らが戦争なんかしなければならなかったのか、私たちには理解できませんでした。
と述懐するところがあります。
その答えの一端を探るために次は「第三帝国」を読もうと思います。
11月12日:誤字修正