「待賢門院璋子」(たまこ、と読みます)と書いて、どのぐらいの人がピンとくるのかわかりませんが、「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」という歌が百人一首にとられている崇徳院のお母さんです。
この「待賢門院璋子の生涯」は、その崇徳天皇の父親が、待賢門院の配偶者である鳥羽天皇ではなく、その祖父であり、待賢門院自身の養父である白河法皇であることを明らかにした名著として有名なのですが、
P.84
中宮(璋子のこと)の躰は、(白河)法皇の老練な愛撫に馴らされていたから、(鳥羽)天皇との房事はただひたすら煩わしく、なんら喜悦をおぼえなかったようである。
()内は引用者
と、どう考えても歴史的事実とは言い切れないことが書いてあり、「これは角田文衛先生の願望ですか?」とお尋ねしたくなります。
P.87
中宮・璋子の生理関係や、法皇と中宮の不倫関係は、単なる興味本位で詮索されることではない。独裁君主たる法皇の恣な性生活がいかに重大な結果を招いたか-この問題を究明するためには、こういう立入った詮索も避け得ないのである。
と学者先生らしいエクスキューズを入れておられますが、 この一文があるためにかえって、先生が内心やましさを抱えておられたことが伺えます。
P.105
入内(じゅだい)当時は(鳥羽)天皇にたやすく肌を許さなかった中宮も、やがては異性として天皇を愛し始め、法皇によって洗練された技巧によって天皇を夢幻の境地に誘ったのであろう。
()内引用者
と再度、渡辺淳一のエロ小説ですか?というような歴史的事実?というような記述があり、角田先生がSexは技巧が第一と考える技巧第一主義に陥っておられたことがよくわかります。
えっ、おっさんですか?
おっさんは感情の通い合いがもっとも性感を高めるという感情第一主義です。あとアダルト動画でどれだけ勉強しても、結局その人の持っているセンスによって巧さは制限されるので、回数を重ねることによって大してうまくならないのではないかなと思っています。
閑話休題。
学生時代は、「院政」って摂関政治と鎌倉幕府の間に挟まって、あまり深く習わなかったような気がするし、「院政を開始したのって、白河?鳥羽?後白河?後鳥羽?」って感じで、あんまり興味もなかったのですが、古代末、中世が見えてきたこの院政期、全体のわからなさが面白いですね。
変革期なので全体像がつかみずらいし、変革期ゆえに平氏の急速な勃興と没落があったということなんでしょうね。外祖父が権力を握る摂関政治から、内祖父が権力を握る院政への転換は、「家」の確立と関係があったりするのでしょうか。