きのう、畳の上で寝落ちしてしまい、背中の筋肉が痛いおっさんです。
おっさんが勤務する施設で担当している「教授」。
とある大学で教鞭をとられていたので、おっさんが心の中でつけたあだ名なのですが、この「教授」の希望の一つに博士論文を書くことがあります。
そのために、自身で書いた修士論文を出身大学から取り寄せたいといままでも希望していたのですが、今回、政府の定額給付金で10万円が入ったことでパソコンを購入。
次なる希望として、博士論文を書くこと、修士論文を取り寄せることに強い訴えがあります。
出身大学からはなにかの機会に「閲覧はできるがコピーはできない」と回答をもらったらしいのですが、それを覆すべく、ご自身で出身大学の事務室に手紙を書いてもらいました。
しかしその中で「北陸地方の某国立大学と採用について詰めの協議になっており、そのために修士論文を読みたいと相手方からの希望がある」と書いており、絶句。
大嘘やん。
というか「教授」はキリスト者のはずなんですが、だいたいこの手の手紙には毎回なにか嘘があるんですよね。
おっさん、嘘を全面的に否定するものではありませんが、キリスト者は基本嘘をついてはいけないのでは?こういうときこそ、本当のことを書いて相手の理解を得るべきでは?とおっさんなどは思ってしまうのですが、「教授」にとっては、あくまでブラフが必要なんでしょうね。
結局のところ、この人はここに来なくても何らかの理由で大学の教員生活は行き詰っていたのでは?と思ってしまいます。
8月2日:誤字修正