先日のお休みに、職場のコロナによる外出規制は完全には解除されていないのですが、できる範囲で外出しようということで、京都の展覧会を見に行くことにしました。
当初は「京都国立博物館」の「親鸞」展のみを見にいくつもりだったのですが、
「あれ?『ぼっけいきょうてい』の表紙の人の展覧会もやってる!」ということで、
併せて「甲斐庄楠音の全貌」展も見にいくことにしました。
どっちも図録も買ったのですが、
正直「親鸞」展は見るべきものの少ない展覧会だなという印象です。
門信徒の観覧を前提にしているのか、親鸞の教え的なものの解説が少なくて、ポスターの字の「いまこそ、親鸞の声を聞く。」という文字がおっさんには虚しく感じられました。
それに、おっさんが訪れたときはちょうど門信徒のバスツアー客と同じ時間帯だったのですが、彼らの話す感想を聞く限りでは、親鸞の思想的なものを理解して観覧しているふうには到底思えなかったです。
なんか「適当にでも展覧会をやっておけば、門信徒はツアーで来るから観客数はそこそこ出るし、あんまりつっこんだことをやりすぎて東本願寺とか西本願寺から睨まれたらやりにくいわ」的なしょうもない展覧会だと思いました。
それに客には「お静かに願います」と言いながら、職員が「バスツアーのお客様は残り時間に十分注意してください」って大声で触れ回るって、どういうことやねんと思いました。
「甲斐庄楠音の全貌」展の方は面白いなとは思ったのですが、おっさんとしてはもっと絵の方をじっくり見たかったなという印象です。
甲斐庄楠音が旗本退屈男シリーズの衣装コーディネートをしていた関係で、衣装の展示がかなりあったのですが、おっさんは衣装の意匠が優れているのかどうなのか、さっぱりわからず、衣装のスペースも絵だったらなと思ってしまいました。
絵の中では「櫓のお七」という作品が小さな作品ですが面白いなとおっさんは思いました。
展示されていた作品は、上のリンクの下絵が完成した状態で色があるのですが、それの彩色がおもしろいなというのと、人形と人形を操る人の視線が同じ方向で、操る側と操られる側がどっちがどっちなのかと思わせるようなところが面白いと思いました。
あと、帰宅してから翌日に見たのですが、この展覧会の井上章一による記念講演が面白かったです。
その中で引用されている会田雄次の一中(京都一中)についての回想が、なかでもめちゃおもしろい。
「大きな呉服屋さんの子どもは一中で止(と)まるのが多い。京都一中の同窓会の会長はわたしの同級生だった佛光寺の渋谷(しぶたに)管長で一中で終いです。あとは自分のところで教養を身につけている。大店(おおだな)でも経営とかそういう技術的なことは大学とか高専出の下衆、下郎を使えばいいということでしょう」(会田雄次の一中語り)
「げす」、「げろう」という言葉のインパクト。
「高い学歴を卑しいと考える」、古い京都の考え方を「京都ぎらい」で有名な井上章一が紹介するというおかしさよ。
帰りにはジュンク堂書店に立ち寄り、おでかけ名物の本のまとめ買い。
今回は7冊買いました。
このうち「唐ー東ユーラシアの大帝国」だけは買うのを決めていたので、京都に行く電車では宮崎市定の「大唐帝国」を読んででかけました。
久々のお出かけ。お伴は宮崎市定著、「大唐帝国」なり。理由あとでわかるはず。 pic.twitter.com/GfQ0mqZm8H
— ごっちゃん親父 (@umichiyo) 2023年3月30日
あとは書店で「ほしい物リスト」に入れている物のうちから実際に目で見て確かめたものを購入。
谷川道雄先生は、おっさんの大学でのゼミの指導教官。買わなしょうないですかね。
福祉のお仕事をしているおっさん。
いろいろ迷うことが多いです。辞めたいと思うこともしょっちゅう。理論武装しないと自分にも周囲(環境)にも負けそうです。
日本の没落は、法治思想に血が通わなかったのが原因ではないかと漠然と思ったりするおっさん。結局浪花節というか、センチメンタリズムの地平から日本人は出ることができなかったのではないか、なんて思いながら購入(実際のところ、そういう内容なのかどうかしりません。タイトルで買いました)。
「尊皇攘夷」を読み終えた勢いのままに購入。
やっぱり近代史の知識が薄いことが、日本人をダメにしているもう一つの原因でしょう。それはおっさんにしてもそうなのです。
これは地元和歌山の本屋さんのツイートで気になっていたので購入。
次回は、「マリー・ローランサンとモード」展を見にいくつもりなのですが、「甲斐庄楠音の全貌」展で衣装の展示にピンとこなかったということは、やっぱりがっかりするのだろうか?
桜の花満開で観光客もすごく多かったけど、結局お花見どころではなかったな。