ボーナス10万円ではやる気がでないと入所者さんに愚痴りまくってきたおっさんです。
今日、夕食後の薬を入所者さんに飲んでもらうべく、配薬をしていたら、一人目の入所者さんに「これ、頭の良くなる薬か?」と訊かれ、「そんな薬があったら、おっさんが飲んでるよ」と返答しました。
外的な作用で「頭が良くなる」といえば、おっさんの乏しい読書で浮かんでくるのは、やっぱり「アルジャーノンに花束を」ですね。
「アルジャーノン~」の場合は、薬ではなく外科手術で知能が向上するんですけどね。その後の仕事をしながら、帰りの原付を運転しながらも、ぼんやりと考え続けてしまいました。
「アルジャーノン~」を初めて読んだときは、最後でそれはそれはたいそう泣いたのですが、今読んでもまだ涙は出るだろうか?もう、物語に感動する新鮮な感受性は失われてしまっているだろうか?(自分の若い時を振り返って「新鮮な感受性」と表現するのもかなりナスシスティックで気持ち悪いですけどね)なんて思ったり。
では、泣けなくなっているとして、それは本当に悲しいことなんだろうかと考えたりして。
頭が良くなる外科手術があったとして、どれぐらいの対価ならば人は払おうと思うのだろうか?
費用1億円でもやる?
余命が1年になるとしてもやる?
両足が動かなくなるとしてもやる?
目が失明するとしてもやる?
アルジャーノンとチャーリー・ゴードンの悲しい結末を目にしても、当時のおっさんは「こんな手術があるならやりたい」と思ったんですよね。なぜかというと、ものすごく頭のいい人間には、この世界はどんな風に映るのか知りたかったからなんですよね。
「一を聞いて百を知る」ような頭のいい人間には、もしかしたら、世界はキラキラ輝いて見えるんじゃないかと、とても羨ましかったんですよね。
それじゃ、今ならやらないのか?と問われると、たぶんやってしまうでしょうね。「アルジャーノン=ゴードン効果」を発見したチャーリー・ゴードンのようにこの世界に何かを残したくて、きっとやってしまうだろうな。
「自分の努力によらず、自分を囲む世界を変えたい」という発想こそが「アホ」としか言いようがなく、正に「アホにつける薬はない」ということなんでしょうけど、そう考えると、おっさんは確かにボーナス10万円の価値しかない男かもしれないですね。