TikTokを見ていたら、京都BALの地下に丸善が帰ってきていて、マルゼンカフェがあるのですね。
昔、「檸檬」にも載っている丸善のビルがあったときにも、途中の階にカフェ?もしくは食べ物屋さんがあり、行ってみたいと思いながら、行けないままだったおっさん。
今度はぜひ京都に行く機会があれば行ってみようと思います。
いやしかし、京都BALの地下が昔なに屋さんだったかも覚えていないほどBALに行ってないんですけどね。マリアージュフレールが入っているのは1階だったっけ?そもそもいまもマリアージュフレールはあるのかしら?
それはさておき。
読んだ動機とか感想とか びっしり書く人いるよね
そういうのは続かなくなるからだめです!
簡単な一言コメントだけでいいんです
「バーナード嬢曰く。7️⃣」を読み終える 読書量を増やすための読書記録67 - 「まなさんと一緒」の日々
漫画のセリフに励まされて、読書記録つけようとするおっさんの読書記録です。
今回は「足利将軍と御三家」。
徳川将軍家の御三家は知っていましたが、この本を読むまで(正確にいうと、この本のタイトルを見るまで)、室町幕府(足利将軍家)にも「御三家」があったことを知りませんでした。
(吉良・石橋・渋川の)三家は長柄の塗輿免許なり。今、尾張・紀伊・水戸の三家、塗輿に乗りたま(給)ふは、かの例なりとかや(P.20)
と記しているそうで、前例、起源が足利将軍の時代にあることを同時代人は知っていたのですね。
別の本で、斯波氏が室町初期には足利家の下風に立つことを潔しとせず、家格を誇っていたという記述を目にしたことがあったのですが、斯波氏も含めて論述されていて、非常に面白く読みました。
巻末に著者が
中世は実力がないと生きていくことが難しい時代ではあるが、同時にまた、身分というものが強く意識される社会でもあった。(P191)
と書かれているように、足利将軍(室町幕府)は権力と権威の双方を使って統治をしていたので、応仁の乱以降の権力が落ちてきた時期も、長く衰えながらも存続できたのだと思われます。
なので、そろそろ司馬遼太郎の歴史観に代表されるような「戦国時代と明治維新の時期だけは能力主義が日本社会でおこなわれていた」という「実力」万能な時代が戦国時代であったとの認識が改まっていくといいなと思いました。
いまも「能力主義」がもてはやされたりしますが、「能力」ってそんなに簡単に測定できたり、可視化できたりするものでしょうかね?
結局それは「結果」だけをみた「結果主義」なんじゃないのでしょうか?
このあたりも読んでみないといけないのかもしれませんね。