正倉院展への行き帰りで「ハプスブルク家」を再読してみました。
ハプスブルグ家はルードルフ1世がローマ王に選ばれて歴史の表舞台に姿を表すわけですが、では、その「ローマ王」とは何かというと、
神聖ローマ帝国を代表し、統治する者がローマ王またはローマ皇帝である。選挙で国王に選ばれたも者は、イタリアへ赴き、ローマ教皇(法王)から帝冠を授与されてはじめて皇帝と呼ばれる。(P.21)
とのことで、実質的には皇帝と変わりないとのこと。
ただし、皇帝には王にもまして聖性が加わることになり、王冠と帝冠では権威の重みが異なるとのこと(P.62~63、マクシミリアン1世の項)。
マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝) - Wikipedia
ただ、歴史の授業では確か神聖ローマ帝国は数百に及ぶ諸侯が存在しており、皇帝の力はとても弱かったと習ったので、「権威の重み」というものがどれほど統治にとって有益であったのか、いまひとつわからないなと思いました。
章立てされているのは、上記のマクシミリアン1世とカール5世、マリア・テレジアの3人(第1章、第2章、第4章)。
6番目の章、終章で紹介されている皇帝はフランツ・ヨーゼフ帝。
彼の皇太子がサラエボ(サライェヴォ)で射殺され、第1次世界対戦のきっかけとなったフランツ・フェルディナントです。しかし、フランツ・フェルディナントはフランツ・ヨーゼフの子ではなく、自殺した皇子ルードルフの代わりに立てられた甥だとのこと。
この皇帝の記述で目を惹いたのは、
フランツ・ヨーゼフは朝五時に起床、午後一一時に就寝という日常生活を守り通した。皇帝の一日の行動は厳密に定められていたから、その姿を見れば現在の時間を知ることができた。(P.218)
という記述。
こういった時間に正確な生活を送った人物として思い浮かぶのは、哲学者のエマニュエル・カントですね。
このようなストイックな生活を送ったにも関わらず、ハプスブルグ家の退潮といった現象を押しとどめられなかった事実、記述には心痛むものがあります。
いま読み返している銀英伝では、ヤン・ウェンリーの幕僚ムライ少将が、確かそういった人物設定をされていたように思います。
同じように為政者、支配者として精勤な生活を送った人物としては、清の雍正帝があげられます。
夜は十時十二時に寝て、朝は四時以前に起床する。起きている間はひたすら政治に没頭して寸刻の暇もない。(P.173)
こちらも泰斗、宮崎市定先生の記述が楽しめる名著だと思うので、読んで損はないと思います。
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