
悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書)
- 作者: プラユキ・ナラテボー,魚川祐司
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/10/27
- メディア: Kindle版
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この本を読んでよかったなと思うのは、おっさんにとっては上の箇所に尽きます。
おっさんは、「歎異抄」や「道元入門」も持っているし、日本の特定のお坊さんに教えを請うたりしなくても勝手に本を読んで、勝手に解釈していっても別に良さそうだと思うことができました(これは大いなる拡大解釈ですが)。
坐禅も自分勝手に適当にやっていこうと思います。
おっさんは別に仏教で悟りを開きたいわけではなく、せいぜいが仏教ファンぐらいのレベルなので。
おっさん、以前のブログ記事↓で、
おっさんの実家は、曹洞宗で禅には興味があるのですが、おっさんはあまり日本のお坊さんに尊敬の念をもつことができないので、お寺に通ったりするのは嫌なんですよね。
おっさん、坐禅?瞑想?を再開する - 「まなさんと一緒」の日々
と書いたのですが、その理由の一つは、日本の僧侶が不婬戒を守っていない、守ろうともしていないことにあります。
以前読んだ、「破戒と男色の仏教史」のあとがきの中で
タイやスリランカなどを訪問しますと、日本の仏教者の評判は芳しくありません。その最大の理由は、僧侶の妻帯にあるのです。仏弟子として、釈迦の定めた戒律を護持しない僧侶は、僧侶にあらず、というのです。
という一文を読んで、全くそのとおりだと思いました。
日本の僧侶の人って、「妻帯の問題は親鸞が解決済みだ」とでも思っているんでしょうかね。まったく戒律を破ることに対する抵抗もなさそうに、当然のごとく妻帯してますよね。
それがおっさんの目には、非常に不潔なものとして映るのです。
妻帯している僧侶には、「親鸞が不淫戒を乗り越えて自分の宗派を打ち立てたことと、お前が妻帯していることがどう直接的につながるのか、俺が納得できるように説明してみろ」と言いたいです。
まあ、そんなわけでおっさんは、日本の僧侶の方の元でお話を聞いたり修行したりすることなく、自分で本を読んで、自分なりに納得できる、自分の心を落ち着かせてくれる坐禅の真似事をおこなっていこうかなと思っております。
ここからはさらなる余談なのですが、おっさんが日本の僧侶の方に決定的な不信感を抱くようになったのは、「新婚さんいらっしゃい!」に出ていた夫:僧侶、妻:一般人のカップルをみてからなんです。
もともと、おっさんは「新婚さんいらっしゃい!」がこの世で一番嫌いな番組の一つなんですが、だれかと喫茶店でランチを一緒にしたときに点いていた番組が、その日の「新婚さんいらっしゃい! 」でした。
喫茶店の人に「(チャンネルを)変えてください」とも言い出せないまま、テレビの音声を聞いていると、妻が「夫は滝行の代わりだと言って、自宅で冷たいシャワーを浴びてるんですよ」とまるで自慢のように語っておりました。
その瞬間、おっさんの怒りの炎が激しく点火しました。
「てめえら、宗教舐めてんじゃねえぞ!!!」
それ以来、おっさんは「破戒の苦悩もなしに妻帯している馬鹿坊主に仏教のなんたるかを尋ねるなんてとんでもないわ」と妻帯しているとされる日本の9割の僧侶を、嫌いになりました。
思い返して文章にしても腹が立ちます。
「冷たいシャワーを浴びて、何が滝行の代わりやねん、まったく」
まあ、おっさんが著しく狭量な男は言うまでもないことですが、それにしてもひどすぎるやろと思います。