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意味 業績主義、能力主義のこと
メモ 従来のメリトクラシーは学歴などが評価基準だったが、近年では「コミュニケーション力」「人間力」など、新たな「能力」が求められつつある(ハイパー・メリトクラシー)
「メリトクラシー」について書きたいけど書きにくいなと思っていたら、先日夜勤中に職場の新聞で次のような記事を見かけました。
高校の内申書の云々ではなく、「主体性を総合評価」というところに目がいきました。「主体性」を評価するのは当然ながら教師の「主観」なわけで、「主体性」も教師の目につくような「主体性」であり、影で主体的に努力する生徒は評価されないわけですよね。
それなら、テストの点数のほうが先生の主体的な評価が入らない分だけ公平じゃないかと、おっさんなんかは思ってしまいます。
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現代はハイパー・メリトクラシー
学歴・業績などの(客観的な)能力主義の行きすぎに対して、新たに「人間力」などの(主観的な)評価基準が採用された場合、格差の解消なのか、新たな格差の誕生なのかわからない
そもそも、学校の生徒が主体的でなければならないのか?という疑問もありますけどね。中学校の授業なんか受け身で学んで何が悪いんでしょうか?
小学校、中学校で学んだ人間として基礎的な教養を、高校、大学で応用活用して 自分なりの知恵に変えていくんじゃないんでしょうかね?
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