と宮部みゆきさんが発言しているのに、納得。 『火車』を読んでラストがとても印象的で余韻のある良い終わり方だと感じていたので、 作者の宮部みゆきさんの術中にいいようにはまった自分が、とてもうれしかったのでした。 『火車』はいろんな意味で、 僕にとっては特別な作品なので、いつか感想を書いてみたいと思います。 ラストシーンの良さが記憶に残る作品といえば、 『火車』と映画『ジョゼと虎と魚たち』が、僕の中では双璧かなと思います。(『火車』は)まずラストシーンが書きたかったんです。 捜しに捜してきた女性がドアを開けて入ってくる。 それを主人公が少し離れたところから見ている。 でも、一言も声をかけないで終わる、その場面を書きたいと。
『ステップファザー・ステップ』
久しぶりで宮部みゆきさんの作品を再読してみることにして、
「ステップファザー・ステップ」を読み返してみた。
(リンク先の表紙が、僕の持っているのと全然絵が違いますが…)
宮部みゆきさんの本を読むと、温かい気持ちになる。
「袖すりあうも多少の縁」といったらいいのか、
「淋しいとき淋しいと感じる人間同士の関係を優先した方が、世の中楽しくなるに決まってる。」
なんて一文でもわかるように、
淋しい人同士が寄り添って温かいものを育てていくのが感じられるからだろうか。
この本の「お父さん」と直、哲の双子の関係もそうだし、
『レベル7』の生命保険会社の相談所の真行寺さんとレベル7に行こうとした女の子の関係も、
『魔術はささやく』の守君と絵が大好きな友人の関係もそうだと思う。
(手元にないので名前が違うかも)
そんな人間関係を傷の舐めあいと揶揄することも可能なのだけれど、
それだけに終わらせないような独特の温かみが、
宮部みゆきさんの作品にはあるような気がする。
再読して感じたのは、
この短編集の中に他の作品に通じる要素が色々入っていたんだなということ。
冒頭の短編「ステップファザー・ステップ」で井口雅子になり代わって生きていこうとする女性は、
『火車』の新城喬子を思わせるし、
「ヘルター・スケルター」の
轢き逃げが他の事件の中に隠されているさまは『魔術はささやく』を連想させる。
(「ヘルター・スケルター」というタイトルの短編が入っていたことさえ、
記憶になかったので、すこし驚いた。
同名タイトルの岡崎京子さんの漫画についてもいつか感想を書いてみたい)
で、巻末の解説代わりの「メイキング・オブ宮部みゆき」の最後に、