1月3日に実家の堺に帰ったのですが、その途中で住吉大社に初詣に行きました。
住吉大社のことを書いてもいいかなとも思ったのですが、多くの人が初詣に赴く有名な寺社の一つなので、住吉大社の近くにある、住吉行宮についでに行ったことを書きたいと思います。
最近、南北朝に関する本を読み返していて、南朝=吉野のイメージが強いのですが、
後村上天皇が津守国夏の館を行宮と定めて、そこで崩御していることに気づきました。
で、今回は初詣のついでに足を運んでみたというわけです。
津守国夏という人物は、住吉大社の神官で、正三位摂津守の官位を与えられていたということなので、住吉大社が寺社権門、荘園領主の一員として、南朝方に味方していたということなんでしょうね。
南朝方としては、紀伊半島の東側の伊勢が北畠親房の死などもあって、伊勢の北畠の勢力が退潮しているので、 紀伊半島西の海岸は、 九州の懐良親王の征西将軍府との連絡の上でもどうしても保つ必要があり、 進出してきたという感じなんでしょうか。たしか佐藤進一著の「南北朝の動乱」はそういう説明だったように記憶しています。ちなみにこの住吉行宮、 写真に写っている門は北に向いて位置しています。 後村上天皇を始めとする南朝の公家は、 北にある京都に常に眼を向けていたということで、北に向いた門なのかなと、勝手に想像してしまいます。 この文を読んで、住吉行宮に行ってみようという方もいないでしょうが、 ↓が住吉行宮の場所になります。
2017年1月6日:改行修正