おっさんが初めて「アルジャーノンに花束を」を読んだのは、大学生の頃。
まだ単行本しか発行されていなくて、オレンジ色?ピンク色?の鮮やかな表紙の旧版でした。通学の電車で読み終えて、最後に近いページは電車の中で泣いたら恥ずかしいからと涙を精一杯こらえていたのを思い出します。
あの頃のピュア?な自分は、もうどこにもいないんだな、なんて寂しく思いながら読み返してみました。
きのうは職場でインフルエンザの予防接種があり、そのために昨夜夜勤だったおっさんは通常の夜勤の勤務よりかなり早く出勤しました。そして、インフルエンザ予防接種の後の勤務を待つ時間に、空いている入所者さんのベッドに腰掛けて終いのページを読んだのですが、人目もはばからずに泣いてしまいました。
爽やかな温かい涙を流したあとで、いつもより優しい気分で勤務・・・はできなかったのですが、この本のことを誰かに伝えたい気持ちになり、入所者さんにあらすじを熱く説明してしまいました。
大学では歴史を専攻していて、福祉について何も知らなかったおっさんですが、いまは福祉の職につき、ノーマライゼーションとかソーシャル・インクルージョンとか用語は覚えたけれども、おっさんはその職にふさわしい何かを身につけたのだろうか?
主人公チャーリー・ゴードンが
P.363
人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもない
というように、おっさんは施設で「人間的な愛情」をバックに入所者さんに意見や介助をおこなっているだろうか?
チャーリーがたまたま入ったダイナーで他の知的障害の少年をかばったせりふ、
P.295
たのむから、この子の人格を尊重してやってくれ!彼はにんげんなんだ
というせりふを入所者さんは心の中で、おっさんに対して叫んでいないだろうか?
手術で得た知能を失っていくチャーリーが最後にニーマーにおくる
P.449
ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。ぼくわこれから行くところで友だちをいっぱいつくるつもりです。
なんて自分に言われているようで心に刺さりました。
本当に何度読んでも、あらすじを覚えていても最後はいつも泣いてしまうのですが、「泣ける本」なんて帯をつけられると、なんだか違うなと思ってしまいます。ただ「泣く」ことが目的なのだったら目の下にメンソレータムを塗るのが手っ取り早い。まさに「人間的な愛情」の問題ですよね。
昔、読んだハヤカワの「SFハンドブック」。たぶん下の本だと思うのですが、そこに載っていた「アルジャーノンに花束を」を薦める一文の著者が、予備校で机に書かれた「Flowers for Algernon」という落書きを見つけて、そこに「頑張れ、チャーリー・ゴードン」と書き加えたというエピソードも、おっさんはなんだか好きなんですよね。
中学のときのある同級生のことも思い出すのですが、長くなりそうなので、それはまたの機会にでも。
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