P.173
(和歌の題、本意(ほい)について)
前近代は異なる階層・地域の人とは絶望的にコミュニケーションが取れない社会であったことに答えがある。
ここでは、和歌についてこのように論じられているが、本書の重要な着眼点の一つであるように思う。
平等な人間関係に慣れた現代のおっさんには、「身分」の違いがわからないのだから。
P.11の
藤原頼長は鳥羽院寵臣で権中納言にまで昇進した藤原家成を「諸大夫」として侮蔑していた
なんていうのも、 「お公家さん」と思って一括りにしているようではわからないんだろうな。
P.153
権勢ならびなきとはいえ、五位の武蔵守で、将軍の家臣に過ぎない師直は、大臣である公賢に直接音信することはできない。非公式に問い合わせるしかないが、ここで兼好のような遁世者を通じることが最も便利であった。公家の側も直接武家と交渉を持つことは恥であるから、遁世者を介することで体面を保つことができたであろう。
という部分も冒頭の引用部と同じようなことが述べられている。
そういった部分に着目して読み返してみると面白いだろうし、他の本を読む時に念頭に置いておくとより理解が増すかもしれない。