P.89
「八十年代的なるもの」を考えるときに、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の話は欠かすことができません。
おっさんが小学校を卒業したのは、1983年だか84年なのですが、卒業のサイン帳にある女の子から「〇〇(おっさんの名字)君、YMOって知ってる?」と書かれました。
おっさんは、「当然YMOぐらい知ってるわ」と当時は思ったのですが、たぶんその女の子が聞きたかったのは、「聴いたことがあるのか?」という意味だったんでしょうね。はっきり言っておっさんのYMOに対する知識は、「代表曲、ライディーン」という段階で停止しており、その女の子の疑問は正しい疑問であったことが明らかです。
斜め読み、飛ばし読みで「ニッポン戦後サブカルチャー史」を読み終わっちゃいました。後ろ半分は関連年表なので、おっさんの読むのが早いわけではないのです。
テレビの番組としてみているときはすごく楽しかったのですが、文章で読むとあまりおもしろく感じられなかったです。宮沢章夫の語りが楽しかったというのも、その原因の一つなんですが、もう一つ、おっさんの側の問題として、おっさんが貧乏な育ちゆえに、音楽、映画、演劇といった物に触れる機会が少なく、書籍の中で言葉として出てきたそれらに具体的なイメージを持てないからでしょうね。
テレビであれば、映像でおっさんの知識のない部分がフォローされていたのですが、書籍の場合は写真でそれを補っていくということが難しいですからね。
おっさんの乏しい小遣いでは、読書を優先させざるをえず、1枚3,000円のCDを買うというのはとんでもない冒険でしたからね。1回1,000幾らかの映画も当然のごとく、おっさんには手の出せない出費でしたから。
そもそも、おっさんの実家にCDを再生するプレイヤーが長らくなかったはずです。いやー、貧乏って本当に悲しいですね。
サブにしろ、メインにしろ、カルチャーに触れるというのは、やっぱり一定の金銭の自由がないとできないことなんだなと、自分の生い立ちを振り返って思いました。
そういう意味では、母親が借金を作って失踪したにも関わらず、なんとか大学まで進学できたおっさんは、まあ、成功例なんだろうとな自画自賛しておきます。
前回
6月9日:リンク修正
2024年2月14日:リンク修正