最近、日替わりセールの日に購入した「悟らなくたって、いいじゃないか」を読んでいて、おっさん、前回の休みの日から坐禅?、瞑想?を再開しました。
悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書)
- 作者: プラユキ・ナラテボー,魚川祐司
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/10/27
- メディア: Kindle版
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瞑想をはじめる際の態度としてまず、心に構えを作らない。「雑念を起こしてはいけない」とか、「無にならなければ」とか、そういった「心のあるべき状態や向かうべき方向」を最初から定めたりすることなく、
皮膚の接触など細かい身体感覚に注意を研ぎ澄ます必要もありません。
おっさん、実は以前も自宅で坐禅?瞑想?を行っていたのですが、その最中にどうしてもあれやこれやと考え事が浮かんできて、雑念のない状態になったことがなかったので、「しょせん、このまま続けても野狐禅がせいぜいか」と何度も止めていたのですが、雑念を持ってもいいし、無にならなくても良い、身体内の血液や気の流れを感じなくてもいい、ならやれそうだと思い、再開してみました。
おっさんの実家は、曹洞宗で禅には興味があるのですが、おっさんはあまり日本のお坊さんに尊敬の念をもつことができないので、お寺に通ったりするのは嫌なんですよね。
直接的な原因としては、本以外に私生活で最近ものすごくへこむことがあり、その事実を乗り越えるための精神状態作りにも役立つかなというのもあります。
へこんだのは、誰が悪いでもなく、おっさん自身の選択の結果なのでどうしようもないのですが、事実をありのままの受け止めることが、おっさんにはとてもしんどいことなのです。
まあ、そんなわけでぼちぼちと坐禅?瞑想?を自宅で続けていきたいと思います。数回の坐禅?瞑想?だけでも、おっさんの気持ちはだいぶん整理されたような気がします。