きのう、今日と連休のおっさんは、
これまでにも行こうとしたのですが、所用を優先して片付けねばならなかったり、
行こうと思った休みが、国立民族学博物館の休館日と重なっていたりで、
ようやく行ってくることができました。
万博記念公園駅までの大阪モノレールがすごく混み合っていたので、
「夷酋列像」展、すごい人気なんだなと思っていたら、
あらかたの人は同駅近辺にできた「エキスポシティ」に呑みこまれていきました。
そらそうか。
久しぶりだぜ、太陽の塔。
写真を見て思ったのですが、
きのうはこんなにいい天気だったんですね。
おっさんは目がかゆくてかゆくて、目薬は挿さないといけないし、
ハンカチで涙は拭わないといけないしで、
正直なところ、それどころではありませんでした。
肝心の展覧会ですが、フランスのブザンソン美術考古博物館から来ている「夷酋列像」は絵の発色もすばらしく、とても興味深く見せてもらいました。
「蝦夷錦」と呼ばれるサハリン経由で流入する中国製絹織物に身を包んだ「夷酋」たちは、容貌魁偉で三国志の英傑のようでした。ツキノエやイコトイは、解説でも作者の蠣崎波響自身の描いた「関羽」像や江戸時代に描かれた関羽像との類似が指摘されていました。
派手な衣装というと三国志の中でも「錦馬超」の馬超ですが、関帝廟であちこちに祀られる関羽と馬超では絵に描かれる頻度がぜんぜん違うでしょうからね。
他に思ったのは、北方に居住するわりにはアクセント以上の革製品が衣類に見当たらず、寒くないのかなという印象。人前に出る際のきらびやかな衣装と日常生活上の衣装を分けていたとも考えられますが、狩猟民だしずっとこの服だったのではないかなと思うんですよね。
「アイヌ風俗絵馬」として源義経が平泉で死なずに北海道に渡ったとされる絵があったのですが、北の蝦夷地(北海道)が源義経、南の琉球(沖縄)が鎮西八郎為朝でいずれも源氏の武将である点が面白いなと思いました。
刀は柄などはともかく刃はおそらく日本刀だと思うんですよね。
槍などの刃も含めて。
中沢新一の「カイエ・ソバージュ」のシリーズに、日本刀がシベリアやアリューシャンの狩猟民の間にも交易の結果として所有されていたとの記述があったように思うんですよね。
実際、家にある「日本国王と土民」でもP.62で、
中国に輸出された交易品の大部分が兵具、ことに日本刀であったことはよく知られている。
と書かれているので、勝手にそうではないかと想像。
時代が隔たっているので確かとはいえないですが、中国から回ってきた刀だとしたらグルっと日本海を大回りして入ってきたことになるので面白いなあと。
もちろん、直接日本との交易で入っていったものの多いんでしょうけれど。
勝手な想像としては、幕府や諸大名が蝦夷地(北海道)の動向について気にしていたのは、ロシアの東方進出で蝦夷地が騒がしくなってきていたことに加えて、「征夷大将軍」たる武家の職責として東方を静謐に保つことが必要だとの意識があったからではなんて思ったりします。
「信長と天皇」だったかに信長の三職推任問題との絡みで、
信長が征夷大将軍になるためには関東に蟠踞する北条氏を平らげるのが本来であるが、甲斐信濃を領有する武田氏を平らげたことでなんとか形をつけて将軍任官もあり得る状況だったとの説明があったような気がするんですよね。
読み返したわけではないので確かではないんですけど。
そういう意識があったために幕府に対して、松前氏はこんな立派な絵画を作って東方の安定をアピールする必要があったのではないかと考えるだけで楽しかったりします。
図録も買ってきたので、じっくり読み返せるといいんだけど、近頃は本を読むことに対してそこまでの気力がないので、せいぜい眺める程度かな。
帰りは難波のはり重カレーショップでご飯を食べようとしたら、火曜定休でした。
がーん。
正月二日に続いて、またしても行ったら休み。
で散々あれこれさまよい悩んだあげくに、MealMUJIでご飯。
美味しかったです。
髪の毛の薄い小太りのおっさんがMealMUJIで浮いた存在であったことを許容していただけるのなら。
そんな感じでひさびさのおっさんのおでかけは終了。
今月後半から夜勤に入り始めるので、しばらくは休養を再優先でお家でおとなしくしている方針です。