リンクはKindle版へのリンクが出ていますが、おっさんは紙の本で「高い城の男」を読み終えました。
おっさんたちの世代としてはよくあることに、高校ぐらいの時期にSFとかファンタジーが好きで、多少はSFの本を読んでいました。
その中で「ブレードランナー」にショックを受けたおっさんは、原作者フィリップ・K・ディックの作品「高い城の男」も読んだのですが、当時は「よくわからない」、「あまりおもしろくない」という印象を持ったことを覚えています。
再読してみると、とてもおもしろいSF小説でした。
当時、よくわからなかった原因はなんだったのか、記憶していないのですが、この「高い城の男」は単純に連合国が枢軸国に戦争で負けたという形の物語ではなく、作中で述べられているように、フランクリン・ルーズベルトが暗殺されたことを遠因にして、アメリカ含む連合国が戦争に破れたことにしています。
そのあたりが、「現実世界」と違うために若き日のおっさんは混乱したのかもしれませんね。
もしくは、作品の中でナチスがおこなったとされるアフリカでの黒人の虐殺やスラブ民族のシベリアへの封じこめが、あまりに凄惨、もしくは荒唐無稽に感じられたのかもしれません。
でも、たぶん最大の要因は「易経」ですかね。
筮竹で日本人やその支配下にある白人が、自分の進路を決めていく様子が、あまりにおっさんの知っている「現実の日本」とかけ離れていて、当時(高校生あたり)のおっさんはちょっと白けた気持ちになったのではないかと思います。
いまのおっさんは、この筮竹(や投銭)による占い(意思決定)も、スーパーAIによる未来予測をもとにした決断とそんなに変わらんかなと、昔よりもおおらかな気持ちで、SF内のアイテムとして楽しむことができました。
同じように昔は面白いと思えなかったジェイムズ・ティプトリーJrの著作もいま読んだら面白いと思えるのかな?(「たったひとつの冴えたやりかた」は大丈夫だったんですが、「老いたる霊長類の星への讃歌」とか「愛はさだめ、さだめは死」はダメだったんですよね)。
懐かしき、コーティー・キャス。
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