「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

中学の同級生の死と、若くして亡くなったKen君の思い出

今日、中学の時の同級生が亡くなったと連絡がありました。

詳しい経緯はわからないのですが、子どもさんがいるかどうかは知らないのですが、かなり歳下のお嫁さんがいて、ご両親もまだご健在のはず。

 

 

残されたご身内の悲しみは深いだろうなと思います。

 

 

おっさんは同級生の死に際して、大学1年生のときになくなった高校の同級生Ken君を思い出さずにいられません。

 

 

南海高野線沿いにあったおっさんの出身高校へは、あまり南海本線に近い地域から通っている生徒は少なくて、同じ本線沿いで隣の駅に住んでいるKen君とは帰り道で一緒になったりしました。

 

 

おっさんのこぐ自転車に二人乗りしてKen君の家まで送っていったことも何度かあります。

 

 

浪人生の時期もたまに連絡があり、「立命(館大)の受験票、使わん学部の分おっさん使いなよ、あげるから」なんて言ってくれたのを覚えています。

 

 

Ken君は一浪のあと九州の大学に進学したのですが、そこで入浴中に亡くなりました。もともと心臓が弱かったのだそうです。葬儀で悲しんでいたご両親と妹さんの姿を覚えています。

 

 

Ken君はとてもおっさんのことを気遣ってくれていたのですが、おっさんは失踪した母親の問題やそれに伴う自分の心の問題でいっぱいいっぱいで、とてもKen君のことを気遣う余裕がありませんでした。

 

 

心臓が弱いこともKen君からは一度も聞いたことがありませんでした。

 

 

Ken君が亡くなってから30年。

おっさんは未だにKen君にとっておっさんはいい友達だっただろうか?と悔恨のうちに考えることがたまにあります。

 

 

きっといい友達ではなかった。

Ken君が存命なら詫びることもできるのですが、それはかないません。

 

 

彼に対して、自分の問題から心を開けずにいい友達ではなかったと後悔するのに、いまだに他人に対して心を開くことがとても苦手な自分を抱えて生きています。

 

 

優しかったKen君は若くして亡くなり、おっさんは自分のうちの冷酷な自分を抱えたまま生きている。なんとも皮肉な話です。

 

 

Ken君のご両親が母校に寄贈した部活の旗。

いまもあるのだろうか。それも一度見に行こうと考えたまま年月が過ぎ、年老いてきた自分が鏡に写ります。