「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

「はじめての短歌」を読み終えるーー読書量を増やすための読書記録35

そういえば、読書記録とかもつけていたなと思い出し、過去記事検索。

見事に中途半端に「34」で1年前に止まっていますね。

 

 

「3」とかで終わっていたらなかった事にできるし、「100」までやってたら一応「やったな」的雰囲気を醸し出せるけど実に中途半端。

 

 

一応?、続けてナンバリングしてみます。

 

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

 

 

 

以下、印象に残った部分。

 

P.82

 私が子どものころ、野良犬っていましたけど、今、野良犬っていない。なぜいないかっていうと、人間の生存にとって、「生きのびる」にとって、不都合だからね。だから野良犬は消された。

 野良猫はまだかろうじて生き残っている。(略)野良犬、野良猫の次はホームレスや生活保護の人が消されるかもしれない。 

 

 

このP.82の部分は、あとで引用しているP.108の部分ともつながっていますね。

「社会」では役に立たないと思われているものでも、「世界」にはきちんと居場所が本来はある。「経済」のフィルターを通さないでものを見ることは、必要ではあるかもしれないが、それは全てではありえない。そうなったときには、人間も生きていられないかもしれない、といった感覚でしょうか。

 

 

P.93

 ぼく、会社に十七年行っていて、その間ずっと「この駅で降りなければ、海に着く」って思ってた。もし今日電車を降りなくて、海に行ったら、今日のことは一生忘れないだろうってことは、わかってた。だけど一回も、そのまま海に行かなかった。(略)なぜかというと「生きのびる」側の強制力が、無断欠勤して海に行くことを許さないから。

 

 

おっさん、高校はものすごく無断欠席して休んだんですが、通学の電車を乗り過ごして遠くに行ったことはないんですよね。そういうこともすればよかった。ひたすら、家で自分の世界にこもっていました。

 

 

でも、おっさんはサボることの大事さもわかっているから、ある意味大丈夫なのかもしれない。

 

 

P.98

 反社会的なものって、泥棒とかじゃないんです。泥棒は社会的なんです。金欲しいって、働くか盗むかの違い。価値観が同じじゃん。泥棒は全然反社会的ではない。

 でもお金をあげるのは反社会的。お金をどんどんあげちゃう人とかはまずい。

 

 

ここは純粋に面白いと思いました。

「価値観」なんてある種の偏見だけど、それがなく本当に「自由」な状態に置かれると、大体の人は不安でしょうがないのではないか。でも、たまに価値観を揺らすことで「価値観」や「頭」がカチカチに固まるのを防ぐことができる。

 

 

P.108

社会が世界のすべてじゃない(略)世界には人間以外の動物もたくさんいる。でも社会にはいない。そこには人間とペットと家畜がいるだけなんです。

 だから詩歌は、人間に対する異議申し立てをする痛烈な武器であり批評のツール(略) 

 

 

可愛がる対象=ペットと、従属物=家畜、だけではない、そこにあるだけのモノを以下に素直に見ることができるか。見下さず、必要以上に思い入れもせず。そんなことができるといいな。

 

 

で、せっかく短歌の本を読み終えたので、今日から一日一歌を手帳に書きつけて行こうかと思います。いつまで続くかわからんけどね。

 

 

 前回

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