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氏族制の解体が最も遅れていた国は、楚であった。楚は、国全体の武力としては秦に負けないものを持っていた。(略)秦の滅亡は、陳勝・呉広という農民の抵抗が発端となってはいるが、その背後には、六国を中心とした封建制の維持を指向する氏族集団の抵抗が存在した。項羽は、時代に逆行するこの流れに乗り、始皇帝が完成した郡県制と大統一という「時」の流れに押し潰された。
よく楚漢の戦い(項羽と劉邦の対決)は、劉邦のおおらかさと、項羽の他人を信じない峻険さといった二人のパーソナリティで語られることが多いけれども、上記のような社会背景があるということを学べるのは良いことですね。
ちなみにおっさんは中学の社会の先生に教えてもらった戦国の七雄をいまだに言えます。
韓、魏、趙、斉、燕、楚、秦
で、これはだいたい軍事的に弱い者順に並んでいると、その先生が言っていたのも覚えています。でも、晋が分裂して韓、魏、趙になる過程なんかは全部忘れているのが、面白いですね。