先日、見に行った「西行」展。
西行は平清盛と同世代ぐらいなのですが、「平家後抄」には彼のおいが登場しました。
P.157~158
後藤左衛門尉こと藤原基清(略)後藤家は、陸奥守鎮守府将軍・源頼義の七騎の一人に数えられた藤原則明に出自した家門であって、石川流源家の累代の家人であった。ここで注意されるのは、源頼朝の実妹ーー後に藤原能保室ーーと乳兄弟の間柄であったことである。(略)讃岐国の守護に補されていた。しかし、彼自身は検非違使左衛門尉の肩書で都に駐留し、鎌倉の代表たる権中納言・藤原能保の忠実な部下として平家の残党の掃討などに精を出していた。
守護に任じられるぐらいだからけっこう有力な御家人だったんでしょうね。官位も従五位上まであがっているようですし、なんだかいかにも軍事貴族的な感じがしますね。
彼は承久の乱で宮方に属して、洛外で斬首される(P.172)のですが、所領はどんな感じでどんな武士団を率いていたんでしょうね。
おっさん、領家とか寄進系荘園の理解が乏しいので、このあたりの歴史が苦手だったんですが、院政期から中世にかけての歴史は、本当におもしろいですね。