「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

読書メモ「平家後抄 上」の1

P.21

三種の神器のうち、)神剣は壇ノ浦に沈んで行方を失ったけれども、神鏡と神璽の方は、一年九箇月ぶりでめでたく都に戻り、白河法皇がほしいままに立てた後鳥羽天皇は、辛うじて僭皇の謗りを免れたのである。

 

 

こういう言説って、明らかに後世の眼での正閏論争的ではないのかな?と思います。当時の支配者からしてみれば、後鳥羽天皇の正当性を否定すると、当の本人たちが支配層として君臨している正当性自体を否定することになると思うのです。

 

 

貴族にしろ武士にしろ、院政をしいている後白河法皇後鳥羽天皇から官位を受けたり、所領の安堵を受けたりするわけですもんね。

 

 

それに当時の一般民衆からすれば、現に支配をしているものが統治者であり、仮に支配していないが正当な支配者である者が別にいると言われたところで、??って感じじゃないでしょうかね。

 

 

先日の「京のかたな」の図録は

P.43

後鳥羽天皇は兄である先帝・安徳天皇の退位を待たずして践祚し、皇位継承の象徴である神器を欠いたまま即位式に臨みました。このことは有職故実を行動規範とする貴族社会にあって、後鳥羽天皇の心に暗い影を落とし、天皇の行動に影響を与え続けました。実際の後鳥羽天皇の心中は窺い知れませんが、周囲の「そうであったに違いない」という解釈が、失われた宝剣を求めて自らが作刀する天皇とその御召鍛冶という伝説を生み、(後略)

 

 

という感じで後鳥羽天皇に触れていました。

「実際の後鳥羽天皇の心中は窺い知れません」と書きながら、「後鳥羽天皇の心に暗い影を落とし、天皇の行動に影響を与え続けました」と書くのは、自己矛盾していると思ってしまいます。

 

 

それとも、その「暗い影」が後鳥羽上皇承久の乱を企てた遠因だと考えているのでしょうか?

 

 

平家後抄 上 (朝日選書 179)

平家後抄 上 (朝日選書 179)