夏だし、先の大戦関係のものを一つぐらい読もうかということで読みました。
なぜなら、 万世一系の天皇を戴く君主制こそ日本の国体であり、それを護らねばならぬからである。かれらにあっては、その天皇の一人にすぎぬ裕仁天皇より、国体が優先するのである。
これなんか、彼ら軍人が躍起になって退けた天皇機関説と、なにが違うんでしょうかね。明らかに天皇を交換可能な部品的な認識をしているのに。
だからといって彼ら(陸軍将校)が野卑な人間だと考えるのはもちろん間違いで、彼らは平時にあっては軍官僚であり(通常、戦時よりも平時の方が圧倒的に長い)、
竹下中佐、井田中佐、畑中少佐の三人は東大教授平泉澄博士の直門として(略)、彼らは平泉博士より、自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。
とあるように、教育を受ける機会にも恵まれていたました(まあ、彼らの場合は平泉澄から教育を受けたことが良かったのか悪かったのかわかりませんが)。
時代はこれより少し遡りますが、言論統制の象徴として語られることの多い陸軍情報局情報官鈴木庫三少佐も「東京帝国大学陸軍派遣学生」として東京帝国大学で教育学、倫理学を学んでいます。彼は河合栄治郎の授業を何コマか受けていたりするんですよね。
河合栄治郎の名前は、水木しげるの「ゲゲゲのゲーテ」でも出てきましたね。
昭和三年十二月二日、当時放送部長だった矢部は自宅で代々木練兵場で行なわれている御大典記念の陸軍特別観兵式の実況放送を聞いていた。そしてとつぜん愕然となった。天皇の声がラジオから流れでたのをたしかに耳にしたからである。マイクは天皇の席後方五十メートルの地点に、もちろん十二分の警戒をはらってすえられていたが、どうした風の吹きまわしか天皇が詔書を読まれる声がマイクに入り、全国民の耳にとどいてしまったのである。
このあたりはほぼ同時代の「英国王のスピーチ」と比べると面白いというか。
「天皇の声をラジオに乗せるなど恐れ多い」として、天皇は臣民から引き離されていたわけですが、そのせいもあってか二・二六事件も終戦時のクーデターも「君側の奸」を除くことが目標にされているんですよね。
これなら、イギリス同様に天皇が親しく自分の考えをラジオで述べたほうが、よっぽど君側の奸が天皇を操っているといった誤ったイメージは持ちづらかったのではないかと思ったりします。まあ、結果論なんですけど。
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