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北条得宗家で譜代の家人は「御内人」と呼ばれ、(略)得宗専制の進展とともに幕政にも進出し、大きな権勢を誇った。御内人のトップで「内管領」と呼ばれる役職(略)
そもそも、おっさんが小学生で歴史に興味を持った頃は、鎌倉幕府は「執権政治」だと習いました。けど、家にあった図鑑には「連署」という役割が載っており、どうも執権と権力を分掌しているようだと思ったのですが、その後、成人向けの歴史の入門書を読んだ際には、北条家の家督者が「得宗」と呼ばれて鎌倉期の後半には、専制的な権力を振るうようになっていたことが記載されていました。
表の権力者が執権一人かと思いきや、連署と両頭制で、実は裏に実質的な権力者がいるという。天皇の家の家督者が「院(治天の君)」として権力を振るっていたことをやっぱり模倣しているのだろうか。
あと、御内人(みうちびと)の管領だから「うちかんれい」と読むのかと思いきや、「ないかんれい」と読む内管領。この本を読むまで、おっさんは「うちかんれい」だと思っていました。
観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)
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