モヤシと豆腐のサンラータン風、モヤシと豆腐のサンラータン風、モヤシと豆腐のサンラータン風、という感じで、モヤシと豆腐ばっかり食べているのに、月末に近づいて全然お金のないおっさんです。
おかしいなあ。
おっさん実は夢遊病で、夜寝ているはずが起き上がって風俗に行ってるとか、キャバクラに通っているとかしてるんだろうか。
でも、家計簿がほぼあっているので、そういうわけではないのだろう。もともとが貧乏なんですね。「赤貧洗うが如し」とはこういう生活でしょうか。
Amazonのレビューがそこそこ高く、きのうの晩ご飯を食べる時に楽しみにしながら見たのですが、こんなにくだらん映画は久々で見ました。
映画を盛り上げるためのCGが、反対に作品を極めて安っぽく見せているというひどさ。
伊藤英明と今井絵理子の際立つ演技のまずさ。この映画は演技に指導をつけなかったんでしょうか。
藤原師輔が右大臣なら、村上天皇(天暦帝)なので左大臣は藤原実頼のはずなのに、藤原元方になってるし、映画の途中で、師輔が左大臣で元方が右大臣に入れ替わってなかったですか?
源博雅が良い人物というのは映画内の表現でわかったのですが、彼に安倍晴明が並外れた友情を描く理由が描かれていない(唐突過ぎる)。
本当に、クソゲーならぬ。クソ映画でした。
レビューで野村萬斎の演技を誉めているものが多かったんですが、野村萬斎のたたずまいとか挙措の美しさを誉めるものが多く、ただ、彼(野村萬斎)を味わいたいだけなら、「薬師丸ひろ子を堪能したーーい」という角川映画、アイドル映画と変わらんじゃないかと思いました。
要は、この映画は野村萬斎を楽しむためのアイドル映画ですか。
せっかくのCGも京都なのに鴨川がなく、すでに衰退しているはずの右京にもきちんと町並みがあるなど、考証的にもどうなのかなと思いました。
まだ文句を書くと、青音(小泉今日子)に諭された早良親王(萩原聖人)が、あっけなく成仏しちゃうのは、どうなんでしょうか。恨みという感情は、もう理屈ではなくなっているはずなのに、理屈で諭されてすぐに納得しちゃうなら、もう最初から祟るなという感じです。
もう本当に残念尽くしの映画で、映画館で見ていたら、「赤猫這わしたろか」って叫んじゃうレベルでした。