一度読了したあと、
読書ノートをつけながら読んでいた「砂糖の世界史」をようやく再読了。
(再読了してからもかなりの時間が経ってしまいました)
ちょっと細かく正確に読書ノートに写しすぎたので時間がかかったと反省。
ノートのつけ方もキーワードを拾うようなやり方にしようと思っています。
それはさておき。
19世紀に砂糖大根(ビート)からビート糖を生産できるようになるまでは、砂糖きびから製糖するしか砂糖を得る方法がなかった。
そして、砂糖きびからの製糖については二つの大きな特徴があった。
1.砂糖きびの栽培には、適度の雨量と湿度が必要なうえ、その栽培によって土壌の肥料分が消耗して土地が荒れるため、つぎつぎと新鮮な耕地を求めて、どんどん移動していかなければならない。
2.砂糖きびの栽培とその加工、つまり製糖は重労働であるばかりか近代的な工場と同じように規則正しい集団労働を必要とする。
1.の特徴ゆえに砂糖きび生産は、スペイン領カリブ海のいくつかの島から、
(16世紀は)ブラジル、(17世紀は)イギリス領、フランス領のカリブ海の島々へと中心が移っていく。
(16世紀に製糖の中心であったブラジルを有していたがため、ポルトガルは日本にカステラや金平糖を伝え得た。)
2.の特徴のため、砂糖きび栽培とその後の製糖に従事した黒人奴隷は、時間を正確に守って働かされていた。
この時代のヨーロッパの職人は、週末に飲んだくれて月曜日は二日酔いで仕事をさぼる「聖月曜日」といわれる慣習が当然のように認められていた。
ヨーロッパ人が時間を守って働くようになるのは18世紀末から19世紀はじめにかけての「産業革命」以降で、工場制度がひろまって以降のこと(「時は金なり」のスローガンとともに)。
したがって、イギリス人が勤勉であるがゆえにイギリスに産業革命が起こったというようなことではない。イギリスが「近代世界システム」で世界商業の中核の位置をしめたことが一番大きな要因である。
『熱帯地域はもともと労せずして物を得やすいため、怠惰な人が多く、温帯などそれより寒冷な地域の人は、物を得るために勤勉に働かざるを得なかったため、経済的に発展した 』というような物言いがよく聞かれるため、そうではない見方を得られるだけでも、ジュニア新書として少年期の人たちが読む意味があるのではないかなあと思います。
しかし、世界商業の中核の位置を占める地域が、アントウェルペンからアムステルダム、ロンドンへと移っていく理由を読み落としたように思うので、そのあたりは再読しておさえたいなと思います。
あとは、18世紀以降の砂糖きび栽培の中心の移り変わりもおさえられていないので、再読時に要確認ですね。
『薬品も、食料も、建築資材も、燃料も、ほとんどすべてのものが動物か植物のいずれかを素材としていた時代、人びとはつねに何か新しい「有用な植物」はないかと気にかけていたため、その必要からヨーロッパ各国は、本国にも植民地にも競って植物園を作り研究を進めた』という記述が、現代人の意識しない(しにくい)植物園の重要性を説いていて、とても面白く感じました。
その流れの中で砂糖大根(ビート)も改良されていくわけですね。