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「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

「たそがれ清兵衛」を観た(Amazonプライムビデオ)

Amazonプライムビデオで「たそがれ清兵衛」を観ました。

以下、感想を書きます(ネタバレ要素ありです)。

 

 

たそがれ清兵衛 [DVD]

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たそがれ清兵衛

たそがれ清兵衛

 

 

 

人から聞いた話やAmazon上のレビューで高評価だったので期待して観たのですが、

面白くないとはいいませんが、傑作かといわれれば????です。

 

 

清兵衛一家の清貧を褒め上げる映画だとしか思えなかったのですが、

貧乏な家に育ったおっさんには、

「清貧」よりも「貧すれば鈍す」の方がしっくりきます。 

 

 

清貧を続けていくには、教育に基づく自律心が必要だと思うのですが、

その教育を受けること自体が貧乏な場合できなのですから、

「清」が落ちて「貧」だけが残ることになるのが当然じゃないかと思うんですよね。

 

 

この映画では、それを避けるために、清兵衛は「明日の米の心配を何度もした」のに、

娘二人の教育を「女に教育はいらん」という、

本家の伯父の意見をしりぞけて続けるのですが、

 

この時代の貧乏な武士が、貧しい中で娘に教育を続けていくなら、

それ相応の理由が描かれないと先見があると見えても、

おとぎ話になってしまうと思います。

 

(たしか「お父さんは女性でも教育を受けて活躍する時代がくると思っている」と

 いった台詞があったのですが、なぜ時代を超えたそのような意見を持ったのか、

 そこを語らないと、のちの時代を知っている監督が描いている「後出しジャンケン

 だと思います。)

 

 

そんなわけで、「貧」を「清」だと位置づけたので、

「富」を「醜」と描かざるを得なかったのだと思うのですが、

政権を掌握して上使討ちを命じる城代家老を、

とても醜いメイクと言動で描いていたのは、

ステレオタイプすぎて面白くもなんともなかったです。

 

 

 

もうひとつは、清兵衛とともえの関係性ですかね。

 

清兵衛が一度ともえの兄からの嫁入りを「家格」の違いを理由に断りながら、

上使討ちに選ばれたあとで、

「以前からともえを嫁に迎えるのが夢だった」と語るのですが、

 

「あなたが他家に嫁に行っても、わたしが嫁を迎えても」、

それが夢だったと語られると、ものすごい男の理屈だなとひきました。

 

これが純愛なら、おっさんには純愛が理解できないです。

それにそんな関係でできた娘なら、

なおさら教育を与えて立派に育てようと思えないと思うんですけどねえ。

 

 

おっさんはもう一度見ようとは思わない映画です。