きのうは雨が降り出しそうな空の加減であったため、
アーケードのある玉造の商店街、日の出通り商店街(やったっけ?)を、
南の鶴橋の方向に歩いて行くことにする。
北の方はまあ商店街らしい様相ではあるが、南に行くにしたがって、
店ではない家やシャッターの閉じたままの店が多くなる。
それでも新規の惣菜屋さんや八百屋さんが開店しているだけでも、
全国の商店街からすれば、まだましな状況なのだろう。
やたら整体屋が多いのが、商店街の客層の高齢化を示しているとも言えるだろう。
雨が降り出さないので、アーケードが途切れても歩き続けて、
鶴橋のブックオフを覗いていくことにする。
玉造のブックオフが閉店していたので、ここが最寄りになってしまった。
ここは漫画が多くて、文庫新書(特に新書)が少ないので、
個人的にはあまり良い拾い物をした覚えがない。
結局何も購入せずにそのまま往復して帰宅する。
ブックオフを覗いたので、ついでに読んだ本のことなど。
心の状態が落ち着いて、再度本が読めるようになって最初に読んだ本。
正直、日本の古代史はあまり好きでないのに、なぜ購入したのだろうか。
なぜ嫌いなのかというと、あまりのわからなさのせいと言ったらいいだろうか。
例えば、邪馬台国。
畿内にあったのか、九州にあったのか。
中国の史書に記されている卑弥呼は、
神宮皇后だとして、後継とされた台与は、では誰に比定すべきなのか?
倭の五王、讃、珍、済、興、武ですら、
どの天皇に比定するかがまだきちんと定まっていないため、
有象無象の諸説が入り乱れ、トンデモ本のたぐいも多く、
読んでいてイライラさせられることが多いので、
古代史が、興味はありつつ、あまり好きではないのだと思う。
ただ、この本は楽しく読んだ。
どの時代についても精通している最後の泰斗と言ってみたくなる存在。
その氏の東洋史の知識を活かした発言、
紀伊半島の大量の木材資源で得た艦隊を使って、
瀬戸内海の良港を点と線で支配した状態を表しており、
それを面的な支配に拡大していくのが崇神以降の状態であり、
ゆえに二人共「ハツクニシラス」という共通の名で呼ばれるのではないかとの説。
また、「天皇」という号は、
「天王」を対朝鮮半島の政権向けに用い、
中国の政権と対するに至った推古朝に至って、対等に立つために、
「天皇」と「王→皇」に改めたのではないかという主張もあり、
本当に楽しんで読めた。
いまの日本の古代史の学会では、どのような説が定説になっているのか、
不勉強にして知らないが、
改めて「では、この説がいまはどのように肯定されているのか?」
もしくは否定されているのか、と続きを知りたくなる書籍である。
一応、学部卒ながら歴史を勉強した身としては、
同時期の中国の歴史の推移もうろ覚え、
朝鮮史に至っては、ほとんど全く知らない状態であることがとても悔やまれた。
現在、線を引きつつ、再読中。
同時代の中国の歴史を概観しようとして再読を始めたのが下の本。
大唐帝国というタイトルだが、
漢末から五胡十六国、南北朝と経て、隋唐による再統一を述べた部分のほうが多い。
こちらも北魏による華北の統一以後、東魏西魏への分裂、北斉北周の並立、
それ以前となると極めてあやふやで、
五胡ですら「匈奴、鮮卑、氐、羌、あと一つはなんだっけ?」となる
自分を恥じるばかり。
それ以前に強大な統一的な権力がなく、
複数の権力が並列的にあるい重層的に、
重なりあったり空白があったりしながら存在する、
中世のあり方を全く理解せずにこの本を読んでいたのではないかと、
学生時代の不勉強をとても恥ずかしく思った。
こちらも線を引きつつ再読する予定。
ネットに溢れる文献資料に基づかない「真実の歴史」なんかより、
古くても、いまは否定されている部分はあっても、
文献や従来の研究を踏まえて類推されたものは、
響いてくるし、知的な刺激があるなと本当に思った。
プロの仕事を尊重、尊敬せずに、
訳の分からない説が、さも真実であるかのように語られるようでは、
この国の将来が危惧されるなと感じたりもした。