「まなさんと一緒」の日々

一緒に暮らしている、猫のまなさんとの日常を記していきたいと思います。

累犯障害者

ここでの「累犯」という言葉は、

刑法56条で言われているような再犯の重なった者という意味ではなく、

「次から次に犯罪に結びついてしまう障害者たち」という意味で使用しているのだそうです。著者自身があとがきでそう述べているので、まず触れたほうがいいのかなと思うので、書いておきます。

 

ここで描かれた各事件は、それはそれで考えさせられるのですが、

文庫版のあとがきで記されている

「我が国の障害者福祉に使われる予算は、(略)対国内総生産比に占める障害者予算でいえば、スウェーデンの約九分の一、ドイツの約五分の一、イギリスやフランスの約四分の一、 そして社会保障制度の不備が指摘されるアメリカと比べても、その二分の一以下となっている。」 という事実は衝撃でした。

あまり自慢できるような予算のつけ方ではないだろうなとは思いましたが、 自己責任の権化のようなアメリカと比べても、二分の一以下とは。 なんとも弱者に冷たい国だな、この国は。

 

障害者白書の平成一八年版によれば、

「現在、日本全国の障害者数は、約655万9000人」 で内訳は、身体障害者が約351万6000人、精神障害者が約258万4000人、 知的障害者が約45万9000人。しかし、この知的障害者の総数は、非常に疑わしいらしい。

人類における知的障害者出生率は、全体の2%から3%といわれているのに、 我が国総人口の0.36%にすぎないからだ。軽度の知的障害者がプラスにならず、 単なるレッテル貼りに終わる障害者手帳を持たずに、福祉と接点を持たずに暮らしているのだろうと著者は言う。

 

これだけの貧弱な福祉しか用意していないのに、 ネット上の極端な意見では、 「障害者福祉などにカネを使わず、 産業部門にそのカネを使えば日本経済はもっと活性化する」と言ってたりする。 富の再分配機構としての日本の国は、 再分配の機構が貧弱で、それがかえって日本の経済成長に向かう力を無くさせて、 この国の歪みを増幅しているのではないかと思う。

 

序章で描かれている下関駅放火事件。

この事件は、以前読んだ「生活保護vsワークングプア」でも触れられていたのだが、 逮捕起訴された被告が、「生活保護を申請しようとしたが断られた。 行くところもなく金もないので放火して刑務所に行きたいと考えた」と、裁判で語ったということで、生活保護行政をめぐる問題として紹介されていたが、この被告は知的障害者でもあったようで、「外では楽しいこと、なーんもなかった。」と語り、下関駅の事件の前も、放火して自首することを繰り返していたのだという。

 

この下関駅放火事件は、生活保護の分野、知的障害者福祉、そのどちらの分野でも、真剣に考え、活動する人々に衝撃を与えたのだろうな。こんな風に小さく見える事件でありながら、 本当は私達の社会に大きな示唆を与える事件が、 多くの人は気づかぬままに起こっているのだろうなと思ったりする。 もうちょっといろいろな本を読み、勉強して、 その気づかれないままの事件のうちのひとつになりと、 自ら気づける人間になりたいなと思ったりする。 (mixiのレビューをやや修正して投稿)

 

 

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)