2019年のみやこめっせの古本市で買った「中世武士団」を今ごろ入浴時にお風呂で読んでいます。
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あっ、他の3冊もちょこっとだけ読んで、読み通してはいないな。
「中世武士団」の場合、読むのが遅れたのにはもう一つ理由がありまして、購入してから「おっさん、この本を読んだことがあるな」と気がつきました。
沼田小早川とか竹原小早川といった文章を目にして、ようやく読んだことがあるのに気がついた次第です。まあ、中身を覚えていないので、読んでないも同然なのですが、たぶん図書館で借りたんでしょうね。
ja.wikipedia.org
P.72~73にかけて頼朝のおこなった富士の巻狩りについて述べている中で、
P.72
武士の子弟らが狩に参加してはじめて獲物をしとめることは、事実上の成人式であり、その武芸の証明であるとともに、またかれだ山の神によって獲物をあたえられた、すなわち神によって祝福されたものであることのあかしと考えられたであろう。頼家が鹿を射とめるや、その日の狩がたちまち中止されたということだけでもその重要性は明らかである。
(略)腹心の家臣梶原景高を鎌倉に急派し、政子に事の次第を報告させた。(略)しかし、政子はきわめて冷淡であった。(略)このエピソードは、これまでもっぱら頼朝の親バカさと対比して、のちの尼将軍政子の賢婦ぶりを浮き彫りにする素材とされてきたようである。だが、この報告をうけた頼朝は、おそらく心中「何もわかっておらんのだな」と慨嘆したのではなかったろうか。
と書かれています。
ちょうどおっさんの持っている「マンガ日本の歴史16」ではそのように描かれていているのですが、
一方、「ビギナーズクラシックス百人一首」の中では、
「臣下を引き連れて、山野の動物を捕獲する行為は、王者のパフォーマンスである」とされているので、石井先生の記述が的確なんでしょうね。
P.73
名実ともに全国的な軍事政権の首長となった頼朝は、ここで大規模な巻狩を行なって神にまつるとともに、統治者としての今後の資格を神に問う必要性を感じたのではないか、と
とも書かれているのですが、後世の承久の乱のときに「源家将軍の恩を思え」なんて檄を飛ばした政子ですが、この当時は単なる家政(家の政治)的な立場で物事を考えるのがやっとで、自分が天下の長(少なくともその一半)を担っている家の正妻であるとは認識できていなかったのかもしれませんね。
おっさんが古本で購入したのは、小学館の文庫サイズですが、現在は講談社学術文庫に入っているようです。